91歳の叔母を連れて初詣に行く。遠くまでは行けないので、近場の神社にいくことにした。
まず、能勢地黄にある野間神社。小さな神社だが、1000年の由来を持つ古い神社だ。でも、
だれもいない。477号線沿いにあるが、この周辺は、その昔は、京都への街道筋であり、もっと賑わっていたのだろう。江戸時代はここが能勢の中心地だった。今でも警察署、郵便局本局は残っているものの、能勢電車は走っていないので、すっかりさびれてしまった。
次、野間の大けやき。何度も来たことはあるが、叔母ははじめてなので、連れてきた。樹齢1000年というご神木だ。ここも、だれもいなかった。
最後に、岩崎八幡社。野間の大けやきから、車で2,3分の場所にある。安徳天皇を祭る神社。安徳天皇は、家臣に助けられて、ここまで逃げてきて、その1年後、この土地で亡くなったという伝説がある。これについては、このブログでも昔、書いたので、その詳細は省略。ここも、だれもいない。石段を登った丘の上に祠がある。石段を降りていると、若い娘さんが登ってくる。「ここは安徳天皇が亡くなった神社だと知っている?」と聞くと、「はい、私は、代々、この神社(安徳天皇)を守ってきた者の末裔です」との答え。ひょっとして、藤原経房の子孫になるのだろうか?お正月だから、お掃除にきたのだろうか?
さすが1000年の歴史を持つ能勢。奥深いです。
まず、能勢地黄にある野間神社。小さな神社だが、1000年の由来を持つ古い神社だ。でも、
だれもいない。477号線沿いにあるが、この周辺は、その昔は、京都への街道筋であり、もっと賑わっていたのだろう。江戸時代はここが能勢の中心地だった。今でも警察署、郵便局本局は残っているものの、能勢電車は走っていないので、すっかりさびれてしまった。
次、野間の大けやき。何度も来たことはあるが、叔母ははじめてなので、連れてきた。樹齢1000年というご神木だ。ここも、だれもいなかった。
最後に、岩崎八幡社。野間の大けやきから、車で2,3分の場所にある。安徳天皇を祭る神社。安徳天皇は、家臣に助けられて、ここまで逃げてきて、その1年後、この土地で亡くなったという伝説がある。これについては、このブログでも昔、書いたので、その詳細は省略。ここも、だれもいない。石段を登った丘の上に祠がある。石段を降りていると、若い娘さんが登ってくる。「ここは安徳天皇が亡くなった神社だと知っている?」と聞くと、「はい、私は、代々、この神社(安徳天皇)を守ってきた者の末裔です」との答え。ひょっとして、藤原経房の子孫になるのだろうか?お正月だから、お掃除にきたのだろうか?
さすが1000年の歴史を持つ能勢。奥深いです。
我が家の近所に単なる田舎の御社くらいに思えるちっさい神社が有るんですが、なんと式内社でした。
歴史が有るというだけで有り難がるのも無粋なもんですが、時の経過を考えるとなんだか神々しく思えます。
つくづく、日本人を感じています。
神社は、昔から、一揆の集結場所であり、お祭り広場であり、遊び場であり、再考のコミュニテーの場でしたね。デモを期制するような近頃の公園とはちがいます。
世界で一番、変貌の激しい日本の都市ですが、神社だけは、50年前と同じ場所に同じ建物でいてくれるのがうれしいです。日本で、唯一、生き延びている歴史遺産かも。
人のいない小さな神社は、魅力がありますね。
ご案内致しやすぜ。
10年ほど前に訪ねたことがあります。たしか、像も建っていて、記念碑もありましたね。いい神社でした。あそこに3000人結集したそうですが、正月の初詣、さぞ、多くの人で賑わったと思うのですが・・・。
机龍之介ではないけど、秩父の山が恋しい・・・。