山中一揆
2007-03-23 | 一揆
津山にはいってみたいと思っている。
でも、車で日帰りはむつかしく1泊しなくてはいけないかもしれない。
あの虎さん映画の最終回も舞台に津山がでてきた。みつおの恋人がここで結婚式を挙げる予定だったけど、みつおが邪魔する話だった。昔がそのまま残っているような土地だ。あとここは「八墓村」のモデルになった事件がおきたところではなかったか?
なんといっても、「山中一揆」がおきた土地だ。一揆の碑や墓があちこちにあるようだ。昭和30年代はじめに「山中一揆顕彰会」が一揆史料を出したそうだけど(見たことない)、新しい解説書はないのだろうか。地元に若い研究者はいないのだろうか。一揆の中でも一番すさまじいものだと思うのに、本が手に入らないのが残念。
以下はこの一揆の存在を知った、というだけの(詳細な内容はわからない)昔の記事。
( 8) 98/05/01 23:15 03553へのコメント コメント数:1
すごい一揆を見つけました。
一揆というと、代表として頭取は逮捕され、処刑されるけど、他の大勢の
人はまあ無事かなあ、と思っていましたが、武士と一揆側が決死の対戦を
したのもあるのですね。
享保11年(1726)に美作(みまさか)国 山中(さんちゅう)一揆(岡山)
です。
取り調べもなく、現地で打ち首になって、首をさらされた者が76人、城に
ひかれていって1か月後にはりつけになった者2人、打ち首20余人。
犠牲者が多い。
この一揆はちょうど津山藩の藩主が急死し、跡継ぎをたてていなかったので、
領地は半分に減らされるという時におこし、お家の一大事という中で、要求
を通すことができたようです。要求が通ったあとも、各地の庄屋たちの家の
うちこわしを続けたので、ついに藩も武力鎮圧に出ます。経過については
略します。
この一揆の記録「美国四民乱放記」は一揆後、数ヵ月して近くに住む人が
講釈本のようにして書いたものですが、これはこの一揆の総大将牧徳右衛門
を中心にして書かれているのです。
もともと先祖は肥前で父親の代に浪人。この牧は江戸に出て、奉公人として
働いたこともあるらしい。とにかく、天草四郎を尊敬し(由比正雪も尊敬)、
一揆の大将になったときは、名を天の四郎左衛門佐藤原時貞となのるのです。
最期、この大将のはりつけになる場面などはすさまじい。
「わが命、終わるとも、一念は死に替わり、生き替わり、鬼とも蛇ともなって
世世影向(?)、恨みをなさでおくべきか」と言い、目を八角にして、「われ
が死んで21日間、色もかわらず、形も損ずまじ、しかれば、死んでもかたきを
とるぞ」と舌をかみきり、口中の血を天にふきあげたとか。
ほんとかどうか知らないが、まるで、映画「魔界転生」。
たしか「八墓村」でも武将の怨念がでてきたようだけど、あれは岡山ではなかっ
たっけ?なんか怨念が強いです。やはり犠牲が大きかったからだろうか。
ともかく、この時代(享保)、天草四郎や由比正雪などの反逆者も庶民において
は、一種の英雄的存在でもあったのだなあ、と思いましたよ。
(「美国四民乱放記」は岩波書店「民衆運動の思想」にあり)
でも、車で日帰りはむつかしく1泊しなくてはいけないかもしれない。
あの虎さん映画の最終回も舞台に津山がでてきた。みつおの恋人がここで結婚式を挙げる予定だったけど、みつおが邪魔する話だった。昔がそのまま残っているような土地だ。あとここは「八墓村」のモデルになった事件がおきたところではなかったか?
なんといっても、「山中一揆」がおきた土地だ。一揆の碑や墓があちこちにあるようだ。昭和30年代はじめに「山中一揆顕彰会」が一揆史料を出したそうだけど(見たことない)、新しい解説書はないのだろうか。地元に若い研究者はいないのだろうか。一揆の中でも一番すさまじいものだと思うのに、本が手に入らないのが残念。
以下はこの一揆の存在を知った、というだけの(詳細な内容はわからない)昔の記事。
( 8) 98/05/01 23:15 03553へのコメント コメント数:1
すごい一揆を見つけました。
一揆というと、代表として頭取は逮捕され、処刑されるけど、他の大勢の
人はまあ無事かなあ、と思っていましたが、武士と一揆側が決死の対戦を
したのもあるのですね。
享保11年(1726)に美作(みまさか)国 山中(さんちゅう)一揆(岡山)
です。
取り調べもなく、現地で打ち首になって、首をさらされた者が76人、城に
ひかれていって1か月後にはりつけになった者2人、打ち首20余人。
犠牲者が多い。
この一揆はちょうど津山藩の藩主が急死し、跡継ぎをたてていなかったので、
領地は半分に減らされるという時におこし、お家の一大事という中で、要求
を通すことができたようです。要求が通ったあとも、各地の庄屋たちの家の
うちこわしを続けたので、ついに藩も武力鎮圧に出ます。経過については
略します。
この一揆の記録「美国四民乱放記」は一揆後、数ヵ月して近くに住む人が
講釈本のようにして書いたものですが、これはこの一揆の総大将牧徳右衛門
を中心にして書かれているのです。
もともと先祖は肥前で父親の代に浪人。この牧は江戸に出て、奉公人として
働いたこともあるらしい。とにかく、天草四郎を尊敬し(由比正雪も尊敬)、
一揆の大将になったときは、名を天の四郎左衛門佐藤原時貞となのるのです。
最期、この大将のはりつけになる場面などはすさまじい。
「わが命、終わるとも、一念は死に替わり、生き替わり、鬼とも蛇ともなって
世世影向(?)、恨みをなさでおくべきか」と言い、目を八角にして、「われ
が死んで21日間、色もかわらず、形も損ずまじ、しかれば、死んでもかたきを
とるぞ」と舌をかみきり、口中の血を天にふきあげたとか。
ほんとかどうか知らないが、まるで、映画「魔界転生」。
たしか「八墓村」でも武将の怨念がでてきたようだけど、あれは岡山ではなかっ
たっけ?なんか怨念が強いです。やはり犠牲が大きかったからだろうか。
ともかく、この時代(享保)、天草四郎や由比正雪などの反逆者も庶民において
は、一種の英雄的存在でもあったのだなあ、と思いましたよ。
(「美国四民乱放記」は岩波書店「民衆運動の思想」にあり)