虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

東洋民権百家伝

2007-03-24 | 一揆
「東洋民権百家伝」
( 8) 98/04/30 17:21 03541へのコメント コメント数:1

岩波文庫「東洋民権百家伝」670円は最近も本屋さんで見たことあります。
わたしのは1991年第8刷となっている。岩波文庫の復刻本かもしれない。
ちょっと読みずらく、見ただけでしんどそうなのですが、講談調なので、
わかりにくくはないのですが。

興味のある方もおられるかもしれませんから、登場する一揆(人)を登場順に
書いてみます。わたしもまだ半分しか読んでない(一揆観光を書く気になった
ので、やっと読む気になりました(^^))

1、戸谷新右衛門(和歌山)
 享保4年 高野山興山寺の政治の不正を幕府に訴える。

2、涌井荘五郎その他2人(新潟)
 天明2年 新潟市民蜂起。うちこわし。

3、文珠九助(京都)
 天明6年 伏見義民。京都小堀の政治を幕府に訴える。

4、井戸平左衛門(島根県)
 石見の国の代官。幕府の役人だけど、
 享保17年、飢饉の時、人々の苦境を見て、幕府に無断で年貢を免除し、年貢米を
 人々に参じて救う。責任をとって切腹。

5、平八(愛知県)
  東海道白須賀駅(愛知?静岡?)の駅長の奉公人。主人のために、代官の不正を
  江戸に訴える。正徳年間とかで、しかし、これは農民一揆ではない。

6、宝暦の美濃郡上藩一揆(岐阜県)

7、上州絹一揆(群馬県)

8、松木荘左衛門(若狭、福井)
  承応1年、年貢引き上げ反対の強訴(江戸前期か?)

9、宝暦阿波騒動(徳島県)
  宝暦6年強訴未遂

10、西口興左衛門その他(膳所領 近江 滋賀県)
  天明1年、財政改革反対、うちこわし。

11、岡村十兵衛(土佐、高知)
  貞享1年土佐藩の役人だが、勝手に藩の米蔵を開き、窮民を救う。切腹。
  農民一揆ではない。

12、但馬生野銀山一揆(兵庫)
  元文3年、暴動。

13、高梨利右衛門(上杉米沢藩屋代郷 山形県)
  寛文6年 江戸に直訴(山形県)

14、天明2年淡路、縄騒動(淡路島)

15、下野国壬生藩 悪政の直訴未遂(栃木県)
  年代わからず。

16、陸奥国磐城平藩(福島県?)
  元文3年  城下に強訴、うちこわし

17、常陸牛久助郷一件(茨城)
  文化1年助郷重課にたいし強訴。

18、佐渡一国騒動(新潟)
  天保9年 奉行の悪政に1万人蜂起。うちこわし。 

淡路 縄騒動(天明2年)

2007-03-24 | 一揆
淡路 縄騒動(天明2年)
( 8) 98/04/29 16:24 03511へのコメント コメント数:2

みなさまぁ、一揆観光バスの藤子でございま-す。まいどでございま--す。
本日は淡路島でございま--す。
 (お客)淡路はええなあ。海水浴、つり、日帰りキャンプ、大橋ができて
  から、大阪からもますます近くなったなぁ。

お客さまぁ、淡路島って何県かご存じ?
 (お客)そりゃ、大阪だろ?じゃなかったら香川県か?
ほんとに地理が弱いのね(^^)。今は、兵庫県ですよ。でも、江戸時代は
阿波鉢須賀家が支配していましたのよ。阿波徳島藩の家老が洲本のお城に
住んでいたそうな。
 (お客)淡路島といえば、高田屋嘉兵衛が今は有名だなあ。司馬遼太郎は
    江戸時代で一番好きな男だといっていたような。
お客さま、ごめんなさいね。わたし、まだ「菜の花の沖」は読んでませんの。
今は、一揆に夢中ですからね。
 (お客)そうかい、じゃあ、早く始めてくんな。

「百家伝」によりますと、吉見平六という官と結託して武士身分も得た特権商
人が出てきます。これに、役人の坂東米蔵、高田富次郎。この3人が悪役になってま
すね。ほんとにこの3人だけかどうかはわかりませんが。
 (お客)そいつら、なにをしたのだい?
どんどん新法をたてたのよ。年貢運上をふやす新法とか、庶民は難渋するけど、
官にとっては都合のよい新法ね。
 (お客)うん、いつの世も官の方から一方的に作られた新法にろくなものはな
     いよな。
木綿会所なんかも作ってね。木綿の販売を独占したり、税金をとりたてることも
したの。
 (お客)う--ん、会所というのは、よく聞くなぁ。会所を作って専売を強行する
     って話は上州絹一揆でもそうだったな。この時代の藩のやり口だった
     のかなぁ。

ところが、ここのやりかたはすごいのよ。村人を馬鹿にしているわ。
縄会所というのまで作ったの。各村々に縄をわりあて、上納させるの。
 (お客)縄をなんに使うんだい?

縄は必要なかったみたいなの。村人がつくった縄に文句をつけて、納入を許可せず、村人が困って、縄代として金銭を代わりに納めることを期待していたのね。
だから、縄の太さ短さ長さなどめっちゃこまかい規則をつくったの。でも、
村人は、なんとかがまんして規則通り納めたのよ。で、あてがはずれた悪役人は
今度は、会所に集まって、みんなここで作れって言い出したの。みんな忙しいの
に、会所に集まって作らされるなんて、迷惑なことよ。でも、これも、がまんし
たのよ。
 (お客)おれだったら、もうすでにぷっつんきれているね。よう、がまんするな。その悪役人の上司は何しているんだい。部下がそんなことしているのを知らなかったのかい。

この時の執政は仁尾氏といって清廉な人だったらしいの。でも、才足らず、実務にうとい人って評判なの。
(お客)う--ん、ただ、人がいい、というだけの上司か。下にだまされていたのかな。

でね、今度は、役人は、縄の灰が必要だといいだし、縄の灰を差し出せと言い出したの。しかも、その灰は、縄の形を保っていなくてはならず、少しでもくずれていたら、だめってゆうの。
 
(お客)ばかやろう!風がふいただけで、灰なんて飛んでしまうやろ。漫画みたい
     な話だけど、ほんとかよ?

結局、村人は困り、ここでやっと縄代として、金銭で納めることを許してほしい、とたのんだわけ。悪役人の思うつぼね。最初からそれをねらっていたのだから。

 (お客)う-----、ゆるせん。
でしょ。淡路島にも男がいたのよ。淡路国三原郡宮村(現在、三原郡緑町広田)
の才蔵。
この悪政はゆるせぬと、檄文を各村々に回し、天明2年5月、村の八幡宮で
早鐘を鳴らして村人を集めたのよ。めざすは洲本のお城。はじめは数百人だった
らしいけど、途中、参加者がふえて、数千人。洲本からも役人が急を聞いてかけつけ、
桑間川で相対したそう。そこで役人は才蔵から事情を聞き、要望は聞き届けてもらうようにする、と約束したので、そこでひきかえしたのね。阿波徳島藩からも事情調査があり、結局、前の3人の悪役人は処罰され、新法や会木綿会所、縄会所は廃止になったのよ。
 
(お客)住民側に正当な理由があるとわかっても、訴えたものは処罰されるんだよ
     なあ、当時は。

そうなの。強訴はどんな理由があれ、犯罪なんですもん。
才蔵さんが逮捕される時の話があるのよ。自分の家でヨメさんとむつまじく談笑していた時、急に「上意!」ととりかこまれたのね。才蔵さん、覚悟はしていたけど、まさか今日とは思っていなかったので、なにやら言い争いをしようとしたの。
その時、ヨメさんが静かにおしとどめ、いさぎよく縄をうけさせるようにはげましたらしいわ。いっしょに最後の食事をとり、送りだしたそう。よめさんは、その後、さらされた夫の首を奪いとって埋葬したって。
淡路島の緑町広田にある「天明志士記念碑」という大きな石碑はこの一揆を記念したものなのよ。
 
 (お客)そうか、今度、行ってみようかな。
お話が長くなってごめんなさいね。1回のアップでまとめようとすると、どう
しても、このくらいかかってしまうの。
  

宝暦6年阿波の一揆

2007-03-24 | 一揆
パソ通時代の過去ログの掲載。

宝暦6年阿波藩百姓一揆
( 8) 98/04/25 23:23 03502へのコメント

みなさまぁ、まいど藤五郎観光をご利用くださいましてありがとう
ございます。まもなく、阿波徳島でございまぁす。阿波の名産は・・
(客)阿波女!やさしくて働きもので、阿波女をヨメさんにすると、
   男は遊んでられるということやで。阿波踊りもうまいし。

・・・わたくし、阿波の名産のお話しをしていま-す。
(客)名産といったら、スダチやがな!
スダチ、当たりですね。でも、それは明治になってからで、江戸時代は、
藍(アイ)ですのよ。阿波の藍といえば全国に知られていたのですよ。
(客)ねえちゃん、アイってなんや?
藍って草なんです。藍から藍玉にして、藍玉から、青色の染料ができる
のですよ。
(客)なんや、食えんのかいな。あほくさ。
お客さま、すこしおだまりになってくださいね。わたし、これから阿波の一揆の
お話をしますからね。
(客)はいはい。
はい、は1回でいいのよ。では、まず、日本史年表からね。

「宝暦6年、阿波徳島藩の農民、藍方産物会所の専売に反対し、一揆をおこす」
とあります。
徳島藩としては領内でとれる藍を保護奨励し、その収入を重要な財源にしていまし
た。
保護奨励といえば、聞こえはいいのですが、特定の業者以外の取り引きを禁止、売り
手買い手から税金をとったり、まあ、藩と藩に結び付いた特定の商人が利益が受ける
ようになったのね。以前は比較的自由に売買できる余地もあったのやけど、株組織
なんかもできて、藍を作る農民は藩の専売制が強まるにつれて、生活が苦しくなる
のよ。そこで・・・。
(お客)うん、そこで?会所のうちこわしかい。がんばれ--!

う--ん、そうじゃないのよ。わたし、さっき、「百家伝」を読んで、ちょっとがっか
りしたのだけど、うちこわしも集団の闘いもないのよ。
(お客)なんやそれ。なにもせんかったの?
いや、あちこちの村の神社に村人が大勢集まったのよ。神社では鐘をじゃんじゃん鳴
らし、そして、当然ガヤガヤ騒いではいて不穏な情勢ではあったのよ。でも、村役人
さんなんかが説得に来るとおさまって何事もなく、帰ったみたい。
(お客)なんや、それだけかいな。
あと、檄文も回したのよ。みなみな、藍の問題につき、何日にどこの河原に集まろう。
この回文を村々に回せって。でも、実際には集合することなく、終わったの。
役人がすぐ手を回したせいかもしれないけど、この檄文を書いた思われる5人の人が
死刑になったわ。

(お客)なんだ、じゃあ、不発かよ。
う--ん、どうでしょう。阿波の男の人って優しいから、あちこちの神社に男どもが集ま
る、檄文を出す、それだけで、行動しなくても、十分デモ行為になったとも考えられなくて?実際、5人が死刑になったあと、藍玉の株も廃止になったみたい。
実際に暴力を見せて、領主に反省させることもあれば、おこるぞ!という意思だけ見せて反省させることもできるし。でも、わかんないわ。阿波は百姓一揆が多かったそうだから、この例だけで、阿波男のやり方は判断できないわね。
この死んだ5人は明治になって五社神社ができて祭られているらしいわ。

お客さん、がつかりした?もう少しおもしろい話あるのよ。
このあと、徳島藩は藩政改革を始めるのよ。この一揆も影響しているわ。
それがね、蜂須賀重喜といってね、奥州佐竹の2万石の4男から迎えた新殿様なのよ。
まだ若いのよ。上杉鷹山に立場が似ているわ。上杉はんのちょっと先輩ね。
でも、海音寺潮五郎は「失敗した鷹山」だといってたわ。やる気はあり、かしこかったのだけど、保守派の旧臣の反対にあって、改革はつぶされたの。むずかしいのね。

「百家伝」にはあとはもうおもしろいネタはないみたいだから、これで、おしまいね。


上州絹一揆

2007-03-24 | 一揆
こりずに過去の一揆話を続けている。中身はないのだけど、とにかく一揆の数だけでもふやしておこう。観光ガイドを思いついたのは、どうもこの上州一揆からのようだ。悪のりしすぎて、まったく感じがよくありませんね。
上州絹一揆(群馬)
( 8) 98/04/25 15:10 03498へのコメント コメント数:2

今回は観光案内口調で。
みなさまぁ、観光バスガイド藤五嬢でございま-す。
本日は上州に来ていただきましてありがとうございまぁす。

(客)ねえちゃん、ペ-ス速いぞ。あっちこっちひき回されてついていけへんわい。
   もっと、ゆっくりさせたれや。

おっさん!上州は木枯紋次郎、国定忠治の国やで。かかあ天下の土地よ。
この一揆観光に文句あるのかい?。

(客)・・・異義ありまへん。

よし。さてと、「東洋民権百家伝」(以後、百家伝といいますね)には、宝天の一揆
として、上野国利根郡沼田での絹一揆が書いてございます。

ほんとに沼田でおこったかどうかはわからない、高崎でのことかもしれ
ないとも書いてありますが、お客さん、あまり詮索はなしに願います。

「日本史年表」には、天明元年の6月、「武蔵、上野両国の糸綿貫目改所設置。
8月、貫目改所反対の一揆がおき、問屋などをうちこわす。幕府、改所を停止
する」ってありますので、
とにかく、上野の国でおきたこととお聞きしてくださいね。

(客)なんや、その、いとわたかんめかいしょって??むずかしそうや。

?お客さま、むずかしい質問は、お互いになしよ。無料サ-ビスといったでしょ。
上州は生糸の生産がさかんで、多くの人々は京都の西陣などに送っていました
の。売り買いは自由でしたわ。でも、その利益に目をつけ、糸会所を設立し、
この糸会所を通じて売り買いをし、売り買いには税をとるように勝手に決めた
ようですわ。たくさんの人がこまり、そしてわずかの人が莫大な利益を得る
という制度よね。わたし、このくらいしかわからないわ。

(客)ねえちゃん、まあ、ええわ。、話つづけてや。

上州の村人さん、こんな会所ができては、生活がやっていけない、会所をつぶ
すべし、また、会所の設立に賛成した強欲な商人や勘定奉行をこらしむべし、と
決意したのよ。そこは気の荒い上州者よ、家から刀槍薙弓鉄砲など古道具を
ひっぱりだしてきて、集合。城から武士たちが鎮圧にくるけど、こっぱ役人
なんのその。役人の乗った馬の前足を手でつかみ、馬を倒したりする豪の者
もいるの。すごいわ。
一揆勢にねらわれる(つまり糸会所に賛成した豪農の)者もちょっとすごい
わ。普通なら一揆勢に家を囲まれたら、逃げちゃいますよね。
ある家では、召使が荒波九助という名の元角力とりで、一人、門前にたちはだ
かり、百姓たちを投げ飛ばしたり暴れたそうよ。さすがここの主人も強く、
手槍をふるって一揆勢戦ったそうな。大坂者とちがうでしょ。
(お客)・・・・・・・・

さて、1万人ほどにふくれあがった一揆勢、むしろ旗をなびかせ城下(この本で
は沼田城)におしよせたそうな。城下に突入し、糸会所をうちこわしたあと、
一揆勢は二手にわかれたとあります。糸会所をつぶしたので、これで目的は達した、
引っ返すべしという者と、今こそ城に攻め入り、にっくき役人の首を討ちとるべし、
という者と。後者はなお、城に押し寄せ、城からは鉄砲の乱射。一揆勢は退散。
でも、どこまで真実かは知らないわ。「百家伝」に書いてあったのよ。
お客さん、ね、聞いている?おもしろかった?
(お客)・・・ああああ、よう眠っとった!ねえちゃん、次はどこの国だい?

わたしも、今、「百家伝」を読んでる最中。そこから、宝天の
一揆を見つけながら、しゃべってるの。え---と、あっ、次は阿波だわ