トルストイやドストエフスキーなどのロシア文学では、登場人物たちが、人生や政治について延々とおしゃべりする場面がよくある。フランス革命のときには、カフェで市民たちが議論をし、貴族たちはサロンでおしゃべりをよくした。
日本でも、幕末は、下級武士たちや、庄屋たちが、塾で、あるいは、訪問し合って政治の話をした。若者同志のおしゃべりは、明治の自由民権運動まで続く。いやいや、おしゃべりで、人生論をたたかわせるのは、1960年代まであった。あの頃はカラオケはない、パソコンもない、金もない。ただ、時間だけはあった。
今、おしゃべりはどうなっているのか。
女性は男性に比べて比較的時間があるのでよくおしぇべりをしているようだ。
わたしは、小さなカフェを営んでいるが、おしゃべりをしに店に来てくれるのは女性陣だ。
2,3時間などふつう、5時間おしゃべりを続ける方もいらっしゃる。
何をおしゃべりしているかは知らない(聞かないことにしている、当然)。ただ、わたしの場合、3時間しゃべるのであれば、酒がないと無理だが、酒なしでも、女性陣は話のタネはつきない。そのおしゃべり力には驚く。
話題はなんだろう。どこのランチ屋がおいしかった、とかのグルメ談義。旅行の話。子供がいれば、学校、進学の話。あと、噂、他人談義?
わたしには、妄想、希望がある。その女性たちのおしゃべりに、こんな話題をちょびっと入れてみたらいかがなものか。
「原発についてどう思う?」
「憲法9条についてどう思う?」
「大企業の法人税を下げて、その財源は国民に増税するってどう思う?」
「配偶者控除がなくなるとか、残業代ゼロになるって、どう思う?」
かなり勇気がいる。
座がしらけて、次からは仲間はずれにされるのだろうか。あるいは、おかしい人、アブナイ人にされ、話のタネにされるのか。
それとも、「実はわたしもそう思っていたの」と同意され、おしゃべりがますます盛り上がるのだろうか。
グルメの話や旅行の話もおしゃべりの楽しい話題だけど、長いおしゃべりの中にちらっと、少なくとも、原発と憲法の話だけでも入れてみたら、どうだろう。女性たちが、この国の政治を、旦那の労働環境に語り出す。きっと世の中は変わるだろう。幕末の草莽の志士ならぬ、平成の女性志士が動き出す。
夏の夜の夢です。
日本でも、幕末は、下級武士たちや、庄屋たちが、塾で、あるいは、訪問し合って政治の話をした。若者同志のおしゃべりは、明治の自由民権運動まで続く。いやいや、おしゃべりで、人生論をたたかわせるのは、1960年代まであった。あの頃はカラオケはない、パソコンもない、金もない。ただ、時間だけはあった。
今、おしゃべりはどうなっているのか。
女性は男性に比べて比較的時間があるのでよくおしぇべりをしているようだ。
わたしは、小さなカフェを営んでいるが、おしゃべりをしに店に来てくれるのは女性陣だ。
2,3時間などふつう、5時間おしゃべりを続ける方もいらっしゃる。
何をおしゃべりしているかは知らない(聞かないことにしている、当然)。ただ、わたしの場合、3時間しゃべるのであれば、酒がないと無理だが、酒なしでも、女性陣は話のタネはつきない。そのおしゃべり力には驚く。
話題はなんだろう。どこのランチ屋がおいしかった、とかのグルメ談義。旅行の話。子供がいれば、学校、進学の話。あと、噂、他人談義?
わたしには、妄想、希望がある。その女性たちのおしゃべりに、こんな話題をちょびっと入れてみたらいかがなものか。
「原発についてどう思う?」
「憲法9条についてどう思う?」
「大企業の法人税を下げて、その財源は国民に増税するってどう思う?」
「配偶者控除がなくなるとか、残業代ゼロになるって、どう思う?」
かなり勇気がいる。
座がしらけて、次からは仲間はずれにされるのだろうか。あるいは、おかしい人、アブナイ人にされ、話のタネにされるのか。
それとも、「実はわたしもそう思っていたの」と同意され、おしゃべりがますます盛り上がるのだろうか。
グルメの話や旅行の話もおしゃべりの楽しい話題だけど、長いおしゃべりの中にちらっと、少なくとも、原発と憲法の話だけでも入れてみたら、どうだろう。女性たちが、この国の政治を、旦那の労働環境に語り出す。きっと世の中は変わるだろう。幕末の草莽の志士ならぬ、平成の女性志士が動き出す。
夏の夜の夢です。
その中で気になるものがあった。
冬ソナがきっかけで韓流ドラマにはまっていたが、竹島問題から韓国の民意を知ってアンチ韓国に変わった、という内容のブログを読んだ。
竹島は完全に日本領土である事は間違いない。
それとは別問題としつつ考えた、揺れ動くのは人の心の常ながらそんな簡単に掌返しの様なことができるなんて信じられない。
話がズレました、すみません。