虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

市村敏麿53 明治15年宇和島始審裁判所 判決

2009-08-08 | 宇和島藩
判決文

判決文の半分までは原告の訴えを書いているので省略、後半から書く。
「・・・数通の証書をもって被告に共有権回復を求める申し立てをするといえども、旧藩処分の当否は当裁判所において裁判すべきものではないが、問題の土地はすでに宇和島藩において引き上げ、さらに同藩および旧宇和島県においてみなことごとく被告に与えたもので、被告の私産となったことは原告は認めたのでなかったか。被告が、その土地を現有しているのは、旧宇和島藩宇和島県より純然たる官地を給与せられたことに原因するので、被告はその土地を真正、所有する権利があると認定する。よって、原告は甲号数通の証書により被告に共有権回復を訴訟する権利なきものとす。
右、理由なるをもって、原告訴訟はあい立たざるものなり。
ただし、訴訟入費は成規の通り、曲者たる原告より弁償すべし

明治15年12月25日  宇和島始審裁判所」

今回は、証拠の証書についてはいっさいふれず、まったくの門前払いの判決。

この日のようすは以前、書いていたようで、もう1度、コピーしておきます。
なんか、ようすがよくわかると思うので。

「原告団は、裁判言い渡しの当日、殺気を帯び、傍聴には1300人が集まり、裁判所内は人の立つ隙間もなかったほど。警官は数十名が裁判所の内外を固め、予期せぬ暴動に備えていた。原告敗訴の申し渡しを聞くと、窓を破る者もいて、みんな、声をあげ、憤怒をあらわにしたという。

「原告方の激昂ひとかたならず、往々暴徒ありて、やにわに裁判所を破壊せんとするの気色ありければ、原告者の総帥市村氏および幹事海保志郎氏らはやくもこれを察して、六七百名の惣代を市村邸に集めて、3日2夜の間、その鎮撫に従事し、かろうじてこれが静謐をなさしめ、すぐに上阪、控訴す」と東京自由新聞の記事。」

ああ、裁判ていやだなあ。まったく、いやになる。被告を裁く裁判員ではなく、裁判官を裁く裁判員ならなってもいいぞ!

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