虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

幸徳秋水の妻 師岡千代子

2005-05-22 | 読書
林尚男「平民社の人々」(朝日新聞社1990年刊)は、平民社の中心的な人物だった幸徳秋水、堺利彦、木下尚江、大杉栄の4人の評伝を要領よくまとめた好著だ。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、明治の青春を描いた名著だけど、平民社に集った人々の青春も、もうひとつの明治を代表する青春でしょう。明治は、官財界に優秀で個性的な人物があらわれたといわれるけど、在野も人物が豊富です。このあたりの小説が少ないのがさびしい。

さて、幸徳秋水は、美人好きで、最初の17歳の女性は母親からは気に入られたのに、美人ではなかったので、里帰りさせ、そのまま離縁状を送り、離婚。2度目の妻が、元宇和島藩士の娘師岡千代子だけど、結婚式当夜、友人に吉原に行こうと誘う秋水。美人ではなかったのだ。

斉藤緑雨は、師岡千代子との結婚にさいして、「妻は茶漬けなり。全きを求めるのは夫の非道なり。幸徳君、みりん、かつお節は一時のみ。茶漬けは永遠なり」という祝辞を送っています。今のフェミニストが聞いたら何というだろう。まあ、明治の男ゆえ許してあげてください(笑)。

この師岡千代子も、大逆事件の前に離婚されますが、土佐のお墓には秋水の横に秋水の妻としてお墓が立っています。

この千代子さんは、英語、フランス語にも通じ、文章にも堪能な才女だったそうですが、父親は、師岡正胤。幕末好きの人ならごぞんじの京都の足利将軍の木像鳩首事件の首謀者の一人です。
平田派国学者だったんですね。事件後、信州に流されます。藤村の「夜明け前」にも主人公青山半蔵の同志として名が出ます。出獄後、宇和島に出たらしい。もし、千代子さんの父親が生きていたら、秋水との結婚をどう思ったことでしょう。
宇和島藩には、興味をもっているので、この人のこともっと知りたいと思っています。





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