虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

市村敏麿47 原告側の団結

2009-08-03 | 宇和島藩
今度は農民側の団結について。
10年以上20年近くにわたって原告側の組織と団結が維持されてきたことは実に希有のことではなかろうか。

庄屋側はおそらくさまざまの妨害に出たことが想像できる。個別の切り崩し、示談や買収、あるいは威嚇、脅迫、裏切りのすすめ、誹謗中傷。庄屋側は官と結んでいるので、なんでもできる。郡長、戸長、警察など地域の権力を使える。市村への郵便物はほとんど相手側に知られ、香川の琴平で受け取らなくてならなかったそうだ。

裁判に負けたとはいえ、立派な戦いぶりだったと思う。
農民の団結を示す史料として青野春水の「無役地事件覚書」(愛媛近代史研究16)を紹介する。この史料は「谷本一郎所蔵文書」からだそうだ。。谷本一郎とは、「市村敏麿の面影」にも史料を提供した人だ。どこに所蔵されているのだろう。

字句は、適当に意訳したりしてますので、そのままではありません。

一、今般、宇和郡各村浦旧庄屋および組頭家督地所の儀、出訴につき、私ども惣代として裁判所へ出頭いたしますが、元来、不肖の自分にて条理貫徹せざる儀もこれあるべき、また、取り調べ等行き届きかね候につき、諸事、お指図あい守り進退つかまつりたく、この段、諸君へ委任いたしおき候、今、改めて約定し、右事件しかるべくあい運び候よう頼みあげ奉り候

一、右、委任した事件、利運にいたり候えは、訴訟費、裁判の地所の取高の内、平等1割、首にお渡し申すべく、その際にいたり、私どもは勿論、村浦小前一同よりも、いささかも違変は申し出ません。

一、惣代私ども、諸雑費の儀、たとえ、長い歳月が経るといえども自費をもってあい償い、歎きがましきご相談等はけっしていたしません。

一、出訴中、御役所のご理解により原告被告両方示談になろうとも、諸先生のご尽力で交渉しているので、約束の通り、訴訟費は償います。こちらで勝手に示談することは決していたしません。

右の条、堅くあい守り、いささかも定約に違背いたしません。後の証拠として、惣代私どもにて連印いたします。
明治9年7月19日

このあと、各村の19人の惣代の名前と印があります。

住所と名前は省略したけど、ひょっとしてこの住所にこの名前の子孫の方が住んでおられないだろうか、と思う。現地にいたら、調べてみたいものだ。

この惣代たちの誓いは市村敏麿と二宮新吉に対してなされたものだが、市村たち二人が惣代たちに示した決意も史料に残っている。

「我ら本年3月18日をもって3カ年累積の葛藤を解き、一己の私をはらい、公平至当を要し、さらに誓盟締約をなせし。たとえ、同日に生せずといえども同日同枕に死せんの意志を含蓄し異体同心の間柄たるうえは申すまでもこれなく候。今や大事成らんとするにむかわんとし、各村惣代中、相互に親睦なるや敵視するやを顧慮し、今後はとりわけて謹慎、戒めを欲し、一封の忠告を飛ばすはいわゆる用心の縄、転ばぬ前の杖なるものにこれあり。大至急、惣代中へ心得向き、お申し聞かせ上、懇和を結ばしたまうべし・・・・」

明治11年3月18日 
各村浦惣代御中
                 二宮新吉
                 市村敏麿

この2年後、二宮新吉は早々と自殺してしまうのが解せないなあ。それはないぜ、と敏麿は思ったにちがいない。





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