虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

大塩の檄文 雑感

2007-05-17 | 一揆
画像は大塩平八郎の檄文、これは大塩研究会(成正寺)で500円くらいで売っていたと思う。大塩の手蹟とされている檄文を和紙に印刷してある。たて約30cm、よこ170cm以上の実物大。字数にして、約2400字。400字詰原稿用紙で5枚半。絹袋(封筒)に折りたたんで入ってる。袋には、「天よりくだされ候村々小前の者にいたるまで」と書かれてある。
大塩が心血を注いだ遺書だ。

久しぶりに読んだ。長いけど、内容は大まかに4つの段落に分けられる。詳しい正確な内容はどこのサイトでも大塩の檄文は読むことができるので、ここでは要点だけ。

①番目は、当時の全国的な政治の風潮。250年間太平が続くうち、しだいに「上たる人」が堕落し、下民が苦しむ世相を書く。江戸の幕閣をはじめとして「上たる人」への批判。たとえば、「下を悩まし、金米を取り立てる手段ばかり」に熱中する支配層。人々は上を恨まない人はないほどなのに、下民の恨みはどこにも訴えるすべがなく、それが天に通じ、今の天災流行、飢饉となった、と説く。
 しかし、「湯王武王の勢位なく、孔子孟子の道徳もないので」、下民の難儀を悲しみこそすれ、堪忍して蟄居せざるをえなかった。

②番目は、大坂について目をうつす。万物一体の仁を忘れた大坂奉行諸役人の政治の得手勝手。江戸には廻米をするが、帝のいる京都には米の世話もせず、わずかの米を買いに来る貧民を召し取る役人。そして、大坂の金持ちの驕慢なふるまい。大名の家老格にとりたてられ、何不自由なくぜいたくに暮らしながら、餓えた貧民を救うこともしない。その金持ちだけを優遇する諸役人ども。
「湯王武王の勢、孔孟の徳なけれども」、「蟄居のわれら、もはや堪忍なりがたし」天下のために下民を悩ませ苦しめる諸役人、ならびに大坂の金持ち町人をこらしめる決意にいたった経緯。

③番目は、大坂近郊に住む難渋者は、大坂に騒動があればすぐに駆けつけよ、金持ちや蔵屋敷に貯蔵してある銭米を分配する、という参加のよびかけ。ただただ、願いは四海万民がいつまでも天恩を謝し、父母妻子を養い、生前の地獄を救う・・・と語る。

④番目は村々の者は、この檄文を番人に見つからないように触れて回れ、騒動には遅れるな、という注意。万一、番人に見つかり注進しそうな様子だったら、打ち殺してもよい。年貢などに関わる諸記録帳面は焼き捨てる。これは人民を困窮させないためだ。
最後は、これは平将門や明智光秀のような反乱ではない。欲心から起こしたものでもない、「もし疑わしく覚え候わば、我らの所業の終わるところをなんじら、眼を開けて看よ」のことばで結ぶ。

やはり、おもしろいのは前半の①②の部分。大塩の時代観、社会観がわかる。改めて思ったのは、大塩の庶民、貧しい者、弱い者へ向ける目だ。「下民」という言葉は4回、「人民」という言葉は2回、この檄文も「村々小前のもの」にむけて書かれてある。「年貢も軽くする」という言葉もある。下が苦しんでる様を強調している。
それに対して武士は、「上たる人」とし、「一人一家を肥やす工夫のみに智術をめぐらし」「言語道断」「禄盗と」「無道の者」と手厳しい。

大塩は、これほど「下民」のことを考えていたのか、そんな武士、見たことない、ありえない、が前からの思いだ。
古来、武士が貧しい者を救うために、貧民によびかけて、命をかけて決起したことなどあっただろうか。ない。前代未聞だ。武士の書いた文に庶民、小前百姓の難儀を嘆いた文があるのだろうか。
そういう意味で、この檄文は徳川期を通じて実に貴重な文書ということになる。

この檄文は幕府によってすぐ回収され、所持することも読むことも禁じられたが、庶民はひそかにその写しを回覧したそうな。しかし、この檄文は武士には広がらなかったのではないか。武士の世界では、大塩は賊であり、この檄文は危険文書として、目にふれなかったのかもしれない。「下民」に寄せる大塩の思いは武士には伝わらなかったと思う。その後、大塩を尊敬した武士というのは聞かない(浪人ではいるだろうけど)。

大塩の決起は、長い武家の歴史で、武士が「上たる人」のためではなく、「下民」のために生きようとした自己変革の結果かもしれない。あのとき、新しい武士が生まれたのかもしれない。天保時代、武士は何もしなかったけど、やくざの国定忠治は飢饉の中の農民を救うために、奔走した。「人を助ける」「人を救う」という行動は武士以外の階層から生まれたのではないか。任侠。義侠、「みんなのために」という思想は庶民が作り出した。一揆もそうだろう。大塩は、だから庶民には理解され、受け入れられた。

しかし、大塩の行動は、武士に受け継がれなかった。あいかわらず、「下民」を悩ませ苦しめても平気な武士たちが明治維新をおこした(もちろん、例外はいるけど)。だから、今も学校では大塩の檄文は危険文書かも。