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らんかみち

童話から老話まで

ハマちゃんのトラウマ

2008年04月04日 | エンタメ
 白浜温泉一泊二日なんて、担当のぼくにしてみたら出張ですがな。うっかり顧客にでも会ってしまったら頭の一つも下げにゃならんでしょうし、
「おお、ちょうど良かった、来週だけど……」なんて仕事の話でも切り出されたら、よもやむげにも出来ません。だけどそれで済むならまだしも、
「てめーこの前はよくもやってくれやがったな!」なんて苦情でもいただこうものなら……。
 
 そういうわけで、どこに行くにもコソコソと世間をはばかるようにしなくてはなりません。そこへもってきて、観るものは全く目新しくないときていますから、疲れだけが蓄積していきます。かといって、
「三段壁というのはね……。南方熊楠という人は粘菌で、あ、年金じゃないよ……」
なんて得意になって観光案内でもしようものなら、出張にかこつけて観光して回ってるのがバレバレじゃないですか。

 まるでネズミ小僧がいくら命を賭けて悪徳代官から金を盗んで庶民にばら撒いても、
「巷で義賊って呼ばれてんのは、他でもないこのオレなんでい!」と、大っぴらに口に出来ない苦しさ。いくら世のため人のために働いても、決して評価されることの無い徒労。それでも身を挺して働いてしまう悲しい性。
 このように被虐の愉悦に浸っているうちに、思わずポロリと正体を明かしそうになり、アブナイアブナイ! 
 
 旅館の料理にしても珍しくありませんから、とにかくもう飲むしかやってられません。なんで慰安旅行に来て飲んで憂さ晴らしをせにゃならんのか! などといつの間にか深酒をしてしまい、当然ながら翌朝は二日酔いです。せっせと温泉に浸かって酒を抜きにかかりますが、それがかえって湯あたりを起こします。そのうえに更に昼食に酒がでますし、バスの中でもやりますから、ぼくだけでなく、帰りのバスの中はみんなグロッキーの容態です。
 
「皆さまお疲れのご様子で、私がしゃべるよりビデオでも御覧になられますか?」
 そうかい、あんたも運転手と昨夜はお疲れだったんじゃないの、ガイドさん? と突っ込む気力も失っているぼくです。
「男はつらいよか、釣りバカ日誌、それから……」
「あ、釣りバカ日誌を観たいな」
 どこぞのバカが声を上げて決まり、寅さんを観たかったぼくとしては気分が良くありません。仕方無く釣りバカ日誌を観ておりますと、二日酔いのせいか、それとも一点に集中したせいか、だんだん吐き気をもよおしてきます。
 
 でもバスの中でゲロゲロやった日にゃ、粗相者の謗りが付いて回ります。なんとしても次のサ-ビスエリアまで乗り切らなくてはいけません。
 次の電信柱、そしたらまた次の電信柱まで頑張ろう。あと少しあと少しの辛抱だ! 
「それではそろそろサービスエリアに到着しますので……」
 よっしゃ来たー! と安心したのもつかの間、ガイドさんの言葉をさえぎって、
「休憩なんかええから、このままさっさと帰りたいよ」
 などとバカが発言して、咽元までゲロが出かかっているのにどうしてくれる!
 それでもなんとか休憩所で一吐き済ませてバスに戻ると、釣りバカ日誌の続きが始まり、ハマちゃんの顔を見てまたもやゲロを吐きそうになるのでした。
 
 そんな苦難を乗り切って家に帰り着いたんですが、一眠りしたら酔いも醒めてお腹が空きます。いつもの飲み屋にお土産を持って行きますと、そこでもまた釣りバカ日誌をやっていて、今度はそこで気分が悪くなってしまいました。
 こういう悲しい過去があって、西田敏行さんを見ると吐き気がしてくるんです。まるでパブロフの犬、恐ろしい条件反射、というよりトラウマですね。

慰安旅行という悲劇

2008年04月03日 | エンタメ
きのうのづづき
 
 今から十数年まえに勤めていた会社は大阪に本社を構え、全国主要都市に営業所を置いていました。本社は大阪市内の営業を主としていたんですが、ぼくの所属するのは特殊な部署で、北陸、中部地方から四国を含む関西一円の営業を、数人のスタッフでこなしておりました。
 
 ですから年に一度の慰安旅行が関西方面だと、我々のチームの誰かが受け持つ県に行くという最悪の状況が発生するし、実際ほとんどが関西方面でした。
 お鉢が回ってきた営業マンは、仕事なのか慰安旅行なのか分からないどころか、出張に絡めて行く羽目に陥ることもあり、自分の営業車で同僚が飲み歌う観光バスの後ろを追うという悲惨な事態も発生するのです。
 
 我々のチームにとって慰安旅行が近づくと、誰もが、楽しいような暗いような、独特の気分を味わうことになります。
「去年は慰安旅行は伊勢やったから、今年は若狭方面かな? あんたのテリトリーや! ワッハッハ~」
「そんな嫌がらせ言うんなら俺、今年の旅行は遠慮しとくわ!」
 などと営業マン同士、自分以外の誰かが貧乏くじを引いてくれるよう祈ったものです。
 
 しかしいくら努力しようにも、旅行先は上層部の決めることなので、ただ座して判決が下るのを待つしかありません。
 そしてついに運命の日がやってきました。ぼくのテリトリーである、和歌山県は白浜温泉、と慰安旅行先が決まったのです。

まだつづく

朝ドラ「瞳」なんか観ない

2008年04月02日 | エンタメ
 朝ドラちりとてちんが終了して喪失感に咽んでいるぼくですが、だからといって「瞳」は観る気になれません。ダンサーを目指すヒロインが成長してゆく物語らしいんですが、このダンサーというのがどうも引っかかる。これがバレエならバレリーナを目指すとなるんでしょうが、ダンサーと聞くと、外国人女性が日本の就労ビザを取得するのに申請する職種のイメージがくっついてきていけません。まことにプアなぼくの発想です。
 
 また配役も、朝から見たい顔ぶれというよりは、酒を飲みながら見るにうってつけの顔ぶれのように思えるんです。中でも西田敏行さんはいけません。あの顔を見ると吐き気がしてきます。
 誤解の無いように言っておかねばなりませんが、なにも芸達者な西田さんにあらぬ因縁をふっかけて貶めようというのではありません。最初から嫌いなわけでもなければ、今も嫌いというのではないんです。なにしろ寅さん亡き後のハマちゃんは、国民的キャラなんですから。でも、問題はそこにあったんです。

 長くなるので、つづく

「ちりとてちん」が低視聴率な訳

2008年01月05日 | エンタメ
 NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」は意外にも低視聴率が続いているそうで、ネットの掲示板では大人気なのに、不思議だという声が聞こえてきたりします。その訳を推測してみた人によると、「オーバーアクションがいけない」のだそうです。
 それと、奇をてらったような展開。たとえば、ヒロインのお母さんが郵便局で娘にお送る荷物を抱えていらいらした挙句に、自分が荷物を持って小浜から大阪まで電車に乗って行ってしまうシーンがありましたが、放送されるや抗議が寄せられたそうです。いわく、「ありえない!」

 確かにエキセントリックなお母さんであっても、ちょっとやり過ぎだっていうことなんでしょう。でもあれを観たぼくは、「やってくれたか!」と、嬉しかったです。そりゃそうですよ、「事実は小説より奇なり」っていうじゃないですか。もしあれが画家の山下清さんの行動だったら、「やっぱりな!」って思いませんか。
 演技がオーバーだっていうなら、「のだめカンタービレはどうよ」って言いたくなります。あれなんかオーバーアクションの極みじゃないですか。

「不易流行」という言葉がありますが、変わらないというのはどういうことでしょうか。「ちりとて」も「のだめ」も、シェイクスピアや源氏物語と比べて特に変わったドラマというわけでもないと思えます。「ちりとて」の底辺に流れているテーマというか、朝ドラに一貫しているテーマは「親子」と「恋」であって、目新しいところはありません。「のだめ」も同じことですが、表現方法に新味を感じるところが「流行」でしょうか。

 たぶん「ちりとて」の制作側は「おしん」時代の視聴者から、新しい時代の視聴者へとターゲットを変えたのではないでしょうか。今はその過渡期にあるから視聴率が伸びていないと思われます。
「新しい皮袋には新しい酒を入れよ」という言葉が示すように、ネット世代を惹きつけるには朝ドラにも新しい表現方法が必要なのかも知れませんね。

正月に観るなら頭を使わない映画が良い

2008年01月02日 | エンタメ
 正月のテレビ番組にこれといって興味をそそられるのが無かったので、レンタルビデオ屋さんのお世話になりました。
 
 借りたのは、日、中、韓の合作「墨攻」、アニメの「ピアノの森」、旧東ドイツが舞台の「善き人のためのソナタ」、ひところ話題になった「パフューム」など、ジャンルやポリシーに一貫性を欠いたチョイスに、日ごろから映画に無知であることがバレルというものです。
 
 海外どころか日本人俳優の顔も名前も分からないし、映画監督にこだわりもないし、どこの国の作品であろうと偏見無く鑑賞できるので、B級作品をつかまされてがっかりすることも多いですが、掘り出し物が見つかることも時々あります。今回は「善き人のためのソナタ」がそれでした。
 
 先に書いたように映画の批評をできるような男ではないので、ほとんど戯言に過ぎないのですが、墨攻には少なからずがっかりさせられました。
 原作は、歴史の流れに抗い、たった一人で強敵に立ち向かいながら、結局何一つとして変えることができなかった無常がテーマのハードボイルドな物語なんです。それを愛と友情と勝利でデコレートして受けを狙ったため、1年限りで忘れ去られてしまいそうな作品になっていました。
 
 でも正月映画としてお屠蘇気分で観るのには手ごろな作品でした。圧倒的なスケールと美男美女の競演には満足です。ピアノの森はほぼ原作に忠実ながらも少年向けになっていて十分です。新春早々から観るには頭を使わない映画も楽しいもんです。

ちりとてちんは、難しい!

2007年12月16日 | エンタメ
 今週のNHK朝ドラ「ちりとてちん」は、ぼくが夢で見た通りに展開されました。といっても想像力の賜物ではなく、ノベライズを読んだからですが、この本はドラマが撮影される前に書かれたはずなのに、ノベライズをなぞるようにドラマの方もストーリーが運んでいて驚きました。つまり撮影に臨んでも書き直しをしなくても良いほど脚本の完成度が高い、ということなのでしょうか。

 あのドラマ、聞こえなくてもかまわない台詞にギャグが入っていたり、ずいぶん前に張られていた伏線があらわになったりと、観る方もかなり気合を入れないと、その面白さが理解不能ですね。まるでバッハの複音楽がややこしくて敬遠されるのと似て、反面そのからみ合った旋律を分解して聴き取れたのと同じ喜びみたいなものを、ノベライズを読んで感じました。

 さらに詳しく観る人は「芋たこなんきん」で使われたセットや小道具が再登場しているとか、「どんど晴れ」を皮肉った台詞だ! なんて分かるらしいです。それほどまでのマニア魂をくすぐらずにはおかない「ちりとてちん」ですが、意外と視聴率は伸び悩んでいるみたいです。やっぱり少し難しいのでしょうか。

 ところでノベライズ本ですが、これってノベライズっていうより、脚本を小説風に書き直しただけじゃないの? と、ノベライズした作家のオリジナリティーを感じないものです。このドラマの完成度の高さは、一般視聴者のみならず作家にとっても御し難いのかもしれませんね。

ちりとてちん、とても観てられないよ

2007年12月05日 | エンタメ
 NHKの朝ドラは、正しくは連続テレビ小説というらしいですが、土曜日には1日に6回放送されるので、6回とも観てしまうことがあります。というのは、あのドラマのせりふがとても分かり難いからです。関西弁をしゃべるぼくですらそうなのですから、関東の方はほとんど聞き取り不能? それで字幕付きの放送を観て、「ああ、こう言ってたのか」と納得したりします。

 それにしても昨日の放送は観てられませんでした。満座の前で失態を演じた経験は、多かれ少なかれ誰にでもあると思うんですが、ぼくも大失敗したことがあります。
 あれは今から干支が一回りする前のねずみ年のこと。ピアノを習い始めて1年半が経過し、初めての発表会にショパンのマズルカで臨んだ時のことでした。

 発表会場は小ホールとはいっても、お客は数百人でごった返していました。生徒が30人出場したとしても、その家族が一人につき3人来たら900人! その観客の多さに、ステージに上がる前に既にぼくはテンバッてました。つまり麻雀であがる一歩手前のアガッタ心理状態なって、ステージの袖から前の奏者が弾き終えた時には頭の中がが真っ白になってまして(そのせいか、今は頭の外が真っ白)最初の音が思い出せないんです。

 さらに悪いことに、ぼくが出場する寸前に先生がピアノの前に行って椅子の高さを教室の高さに合わせてくれたんですが、座ってみると5cmほど高いんです。それなら自分で直せばいいだけですが、そんな余裕もなく弾き始めてしまい、何とか弾き切ったものの最後はメロメロ、ヨロヨロになって大恥を掻いてしまいました。

 でもそれはまだ序の口で、次の発表会にはバッハのフランス組曲。これは一音間違っただけで最後まで右手と左手がずれながら弾いてしまいました。でもそれはまだマシだったんです。決定的だったのはその後でした。
 その日ぼくはピアノを弾き終えた後、バイオリンも弾いたのですが、ピアノの失敗を引きずって弾き始めたものですから、右手が振るえ、それが弓に伝わって音楽にはなりませんでした。悲しいトラウマが今でもときおり顔を覗かせます。

 だから徒然亭若狭の初講座の失敗には身につまされ、思わず感情移入してしまい、2回目の放送は観る気になれませんでした。
 場数踏んだおかげか、それとも歳のせいで鈍感になったか、今はあの頃ほどあがらなくなったぼくですが、若狭ちゃんはどうやってアガリ性を克服していくんでしょうか。ますますあのドラマから目が離せなくなってきました。

うかつにも朝ドラに涙して

2007年10月13日 | エンタメ
 子どもを泣かせたり、動物を死なせたりしてお涙ちょうだいのドラマなんて安直であざとくないこ? とNHKの朝ドラ「ちりとてちん」の第一週を観て思っていたんですが、今日二週目をまとめて観て驚きました。
「ちりとてちん」の初回の週は視聴率で史上第三位の低さを記録したらしいですが、それはきっと前回の「どんど晴れ」の悪影響によるものではないかと察します。

 前回のドラマが美男美女の競演で演技力をカバーして押し切っただけでなく、老舗大旅館という舞台設定が共感を得られなかったせいか、反感すら持った視聴者がいたかもしれません。
 ですが今回のドラマは美男美女を脇に追いやったばかりでなく、道化役に設定したのが実に効果的で、和久井映見さん(ぼくとしては名前と顔が今回初めて一致)のボケ役は絶妙だし、京本正樹さんの実年齢と乖離したいかがわしさも狙い通りではないでしょうか。

 いやそれよりも何よりも、示唆に富んだ台詞が随所に語られるのでそれに胸を打たれるんです。そればかりか、今週最後も定番の「電車のシーン」でありながら、母と娘が、かたやカラオケ、かたや電車の窓といった風に、直接目を合わせずに泣き別れるあたりは出色ではないでしょうか。
 ここまでは近年まれに見る出来の良いドラマに、ぼくは毎日涙させられてます。
 

映画「Life天国で君に逢えたなら」を観る前に

2007年09月03日 | エンタメ
「Life 天国で君に逢えたら」という映画が封切られたと聞きます。実在したウィンドサーファー飯島夏樹さんがモデルで、彼の著書を原作としてプロデュースされた映画らしいのですが、ぼくは全くその方の名前を聞いたことがありません。

 元ウィンドサーファーだったぼくが知っていても不思議ではないはずと思って、調べてみたら、ぼくがウィンそサーフィンをやめた1995年には活躍していたようなのに、彼のことが記憶にないんです。当時読んでいた専門誌をひもとけば思い出せるかも知れませんが……。

 今ぼくが海のそばの田舎に住んでいるからといって、もうたぶんボードには乗れないと思います。当時はまだ体重が50kgほどだったので、「もう少し体重を増やさないと吹き飛ばされるよ」なんて言われたものでしたが、その言葉に従って20kgも体重増を図った成れの果てが、今のぼくなのです。

 責任転嫁はさておき、ぼくはもうウィンドのボードを持っていないんです。いないんですが、田舎を自転車で走っていて、かつて持っていたボードを見つけました。
 今は誰のものか知らないし、借りていた倉庫が取り壊された時点で所有権は放棄したのでとやかく言うつもりはないのですが、なんと懐かしい! 映画を観る前に「やっと君に逢えたね」って気分です。