一周忌を機に、アトリエ兼喫茶店を会場に開かれた遺作展。
(1)藤原瞬さんとのつながりはほとんどない
(2)展示の概要
(3)展示の意義と課題
の三つの章だてです。
(1)藤原瞬さんとのつながりはほとんどない
自分はこの遺作展についてブログを書くのに適任だろうかと考える。
資格があるとは、とうてい思えない。
年譜を見ると、藤原瞬さんの活動時期は1960年代末から90年代前半にかけてである。
筆者が札幌の美術を見始めたのは1996年なので、リアルタイムで彼の発表を見たのは、道立近代美術館など道立4館を巡回した「北海道・今日の美術『語る身体・10人のアプローチ』」展しかない。
ご本人にお会いしたのも、今は無きギャラリーたぴおで、一度きりだ。
その後全く沈黙していたわけではないようで、北海道美術ネットの古い記録をあさると、2006年に、盟友・田中泯の舞踏が厚田で行われていたのを見つけた。
札幌の都心から車で1時間以上かかる、日本海を見渡せる高台に、この建物を造った際の、記念行事だったようだ。
●「天円地方館」築館記念 田中泯独舞「場踊り-雲を見つけた」=2006年9月24日(日)15:00、天円地方館(石狩市厚田区嶺泊67)。無料。雨天決行。田中さんは日本を代表する舞踏家。現地の現代美術家藤原瞬さんによるプロジェクトの記念行事。中央バス札幌ターミナル11:05分発、嶺泊下車徒歩5分
ただ、その後は、この建物での喫茶店「天海珈琲」の経営に専念していたようで、「北海道・今日の美術」以降20年以上にわたって年譜は空白である。
それ以前の精力的な活動と比べると、その沈黙の長さは際立っている。
筆者にとっては、道内アート界随一の「幻の作家」であり、沈黙している理由をご本人の口から伺いたかったと思う。
(※田中泯さんは、近年でこそNHK連続テレビ小説で主要登場人物を務めるなど俳優として活躍しているが、もともと前衛的な舞踏家で、1970年代には札幌・小樽に拠点を置いて活動していた)
もっとも、本人は、アートの世界からすっかり足を洗ってしまったつもりではなかったようだ。
会場を訪れると、2階には、遺影を掲げた祭壇の右側に、たくさんの刷毛や画材がきれいに並んでいた。
立て付けの大きな書棚には、厖大な美術書や人文・思想書が、これまたきれいに、おおむね分野別に整理されていた(さすがに荒巻義雄さんにはかなわないが、個人の蔵書としては、相当な質と量である。このまま古本屋を開業できそうだ)。奥の部屋には「美術手帖」誌のバックナンバーが詰まれており、それは2017年8月号までそろっていた。
つまり、彼は死の直前まで「美術手帖」を購読していたことになる。
2階では、巨大なコーヒーの自家焙煎装置も目に入った。
喫茶店が軌道に乗れば、再び創作活動に戻ってくる気持ちは十分に持っていたのではないだろうか。
しかし、それもかなわぬことになってしまった。
(2)展示の概要
遺作展は、1階に、1969年の初個展(札幌維新堂ギャラリー)から後年に至るまでの絵画、版画が30点ほど展示されていた。
いずれも抽象で、形や線は描かれず、茫漠とした文様や色の濃淡・明暗が全面を覆っている。
タブローには題が一切附されていないのに、版画には「アクションフロッタージュ」「HAN」「草吽」などと書かれた紙片が近くに貼ってある。
(ちなみに「維新堂」とは、札幌市南1西4にあった書店で、同地に4丁目プラザができた後はその地下1階に開業していたが、1980年代に閉店した)
2階のメインは、自家焙煎装置前にびっしりと貼られた写真だろう。
1985年の1~2月に行った36日間パフォーマンスや米国サンノゼでのパフォーマンスなどの記録である。
「78年2月1~5日、大通公園」とあるのは、さっぽろ雪まつりの会場のようだ。
化粧をして踊っていたが、無届けだったようで、身欠きニシンのような魚を口にくわえたまま警察官に連行されていく瞬間の写真もあって、ちょっと笑ってしまった。
ただ、映像資料が皆無だったのは残念だ。
当時ビデオカメラを回していた人はいたはずなので、映像を提供してくれないだろうか。
このほか、版画用プレス機が置かれた部屋には、おそらく60年代と思われる初期の絵画小品が26点展示してあった。
イブ・タンギーを思わせる、有機的な形態をした想像の動物みたいなものが描かれていた。
さらに奥の小部屋にも書棚があり、テーブルの上には往事のポスターや資料、写真などが並んで、手にとって見られるようになっていた。
(3)展示の意義と課題
というわけで、彼の活躍を直接知る人たちには、とてもなつかしい展示だったと思うが、もし若い世代が見たら、つかみどころのない展覧会だったのではないだろうか。
案内はがき(変形の、大きめのもの)には年譜が記されているが、それ以外に配られたコピーには、金芝河と和田春樹のテキストが寄せられていて、これがいったい何なのか、よく分からない(だいたい、今の若い人には、金芝河も和田春樹もあまりなじみがないだろう。それが良いことだとは、思わないけれど)。
あと、1980~90年代に美術評論家として道内で活動していた加藤玖仁子さんが「美術ペン」67号に寄せた「現在作家論」のコピーもいただいたが、おせじにも平易とは言いがたい。
必要なのは、展覧会図録の冒頭に載っているような、彼の作品と生涯をまとめた評伝の文章であろう。
会場の方に
「またお越しください」
と言われたので、びっくりした。
第2弾、第3弾も開くつもりだという。
であれば、なおさらちゃんとした作家紹介のテキストがほしいところなのである。
会場で配られていたコピーから略歴の一部を抜粋する。
1950年 芦別生まれ
69年 個展(札幌維新堂ギャラリー)
70年 ハプニング集団ゼロ次元商会(東京)に参加
77年 田中泯とのコラボーレション
個展(札幌時計台ギャラリー)
78年 身体気象研究所・札幌を開設
80年 北海道現代作家展(道立近代美術館 82、84、86、88年も)
個展(大同ギャラリー=札幌 89、92年も)
82年 パフォーマンス(駅裏8号倉庫=札幌)
シーサイド展(小樽市港町旧税関跡地)
83年 個展(ギャラリーたぴお=札幌 88、89、90、92年も。84年にはパフォーマンス)
84年 米国各地でパフォーマンスを行う
85年 第1回札幌豊平河畔野外展
パフォーマンス「HAN」(豊平河畔、大通公園など)
個展(道特画廊=札幌)
個展(札幌アートプラザ)
91年 北の創造者たち「金属のフィールド・今」(札幌芸術の森美術館)
93年 距離/存在(スパイラル=東京)
個展(アートスペース201 93年に2度。95年にも開催)
2018年10月21日(日)~11月4日(日)午前10時~午後6時(入場5時半)
天海珈琲アートギャラリー(石狩市厚田村峯泊67-3)