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■楊海写真展 (2014年6月21~29日、札幌)―6月28日は16カ所(3)

2014年06月29日 02時22分22秒 | 展覧会の紹介-写真
(承前)

 西11丁目駅に戻り、地下鉄東西線と東豊線を乗り継いで、環状通東駅で降車。茶廊法邑 さ ろうほうむらへ。

 北京生まれの楊海という人の写真展を見る。
 大きくプリントされた15枚(うち1枚はモノクロ)。
 筆者は初めて見るが、これまで2度(法邑とモエレ沼公園ガラスのピラミッド)、札幌で作品を発表しているとのこと。

 プロフィルによれば、全日写連国際写真サロンで最優秀を得たこともあるというから、すごい。

 15枚には、上海の高層ビル群も北京の渋滞も写っていない。とらえられているのは、チベット、ラサの尼さんや僧侶であり、民族衣装を着て家畜の乳を搾るチベット族の女性であり、何かの儀式で着飾る少女である。

 こういう目線になる心理は、よくわかる。
 以前の日本もそうだったから。
 急速な近代化が進み、旧来のものがどんどん失われていくようになると、人は失われていくものにレンズを向けたくなるものなのだ。

 そのあたりの事情をよく反映しているのが「疾走(河北省)」だと思う。
 今にもくずれそうな古い門や土壁。そのわきの道路を、白い車が疾走していく。スローシャッターのため、車の姿は見えない。

 ただし、この視線のあり方自体が、「すでに近代化を達成した北京の人」のものであることは、指摘しておきたい。
 いくら彼が、周縁の人々に、「わたしたちが失った伝統を、いつまでも保持していてほしい」と願ったとしても、それは身勝手な思いでしかない。なぜなら、彼らが伝統を失いつつあるのは、「すでに近代化を達成した人」が、文明を押し付けたからだ。
 そのような願いは、漢族という支配者の目線に発している。
 その場では、「見る側」と「見られる側」の、いいかえれば支配と被支配の関係性が成立している。
(同じ構図でいえば、欧米人にも「文明開化以前の日本は美しかった」などと賛美する向きが多かった。余計なお世話である。日本人は別に好きで開国したわけでなく、米国にむりやり開国させられたのである)

 むろん、だからといって、この写真家を非難するつもりは、筆者にはない。
 ただ写真には多かれ少なかれ、ある種の「政治」が露呈することがままある。それを言いたかったまでである。


2014年6月21日(土)~6月29日(日)午前10時~午後6時
茶廊法邑(東区本町2の1)



・地下鉄東豊線「環状通東」駅から約790メートル、徒歩9分

・札幌駅北口か環状通東駅から、中央バス「東64 伏古北口線」に乗り、「本町1条2丁目」降車。約180メートル、徒歩3分(1時間に1本)
・中央バス札幌ターミナルから中央バス「26 丘珠空港線」に乗り、「北13条東15丁目」降車。約460メートル、徒歩6分。なおこの路線は、環状通東、元町、新道東、栄町の東豊線各駅とも連絡
・地下鉄南北線「北18条駅」から中央バス「東62 本町線」に乗り「本町2条1丁目」から約450メートル、徒歩6分



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