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笹山峻弘さん死去の報

2013年08月17日 06時57分53秒 | 情報・おしらせ
 礼文の香深出身で札幌在住の日本画家、笹山峻弘しゅんこうさんが亡くなったという知らせが入っています。
 通夜は17日午後6時、葬儀は18日午前10時半、平岸の札幌斎場で。

 笹山さんは1946年生まれ。もともと独学で洋画を学び、1972年の全道展で道新賞(2席にあたる)を得ています。
 その後岩絵の具を用いるようになりましたが、道展など団体公募展には属さず、独自の道を歩んできました。
 (ただし、昨年の「北の日本画展」には、めずらしく参加していたようです)
 個展のオープニングパーティーで、これほど美術関係者が少なく一般のファンなどばかりが出席していた画家は珍しいと思います。

 笹山さんはひんぱんにインドやチベットを旅し、かの地の石窟や曼陀羅まんだら、ヒンズー教の遺跡などを題材にした作品を制作していました。

 そこには、佐藤さんとはまた異なるタイプの悠久の時が流れているように感じられます。

 1998年、北海道新聞文化面には、次のように紹介されています。

 札幌在住の画家、笹山峻弘さんが「インド紀行」と題した展覧会を開いている。日本画の岩絵の具を使い、悠然たる世界を作り出している。

 画面の下半分に乾いた町並みの遠景を、上部に幻想的なモチーフを配した大作が多い。「HIKARI」=写真=はおびただしい仏が並ぶ曼陀羅を、「熱砂の風景」は古い絵図に描かれた人や象が入り乱れる戦闘の場面を、それぞれ描いている。平たんに塗られた地の部分が重厚さを漂わせる。

 「もう七回もインドを訪れているけど、まだ分からない。でも好きなところに行けば元気になるからね」(以下略。以上で引用終わり)


 変わった活動では、故郷・礼文島での植樹や、サッカーのコンサドーレ札幌のJ1復帰を祈って制作された「コンサ太鼓」に絵を描いたりもしています。

 道内の日本画の世界ではあまり群れないほうでしたが、ギャラリーでは楽しそうにインド旅行の話をしてくれたのが印象に刻まれています。
 2004年ころから、やはり無所属の伴百合野さんらと、新たなグループ「風展」を発足させ、筆者も文章書きという立場で誘われましたが、直後に異動してしまったこともあって、たいしたお役に立てず、申し訳なく思っています。

 ご冥福をお祈りします。



ギャラリー山の手を彩った作家展 II (2009)

2008日本画の「現在」展
笹山峻弘展 インド・チベット紀行(08年5月)

笹山峻弘展(06年)

第2回 風展(05年) ■こちらにも画像=笹山さん出品

笹山峻弘個展(04年、画像なし)

笹山峻弘日本画展(03年、画像なし)

笹山峻弘個展 インド紀行(02年)


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