北海道美術ネット別館

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或るZINEのこと。あるいは2006年ごろのこと

2017年04月14日 01時01分01秒 | つれづれ日録
1.或るZINEのこと

 カフェエスキスで店主の中川さんに見せてもらったのは「かわらのこ」という薄い詩誌、いまふうのことばでいえば「ZINE」でした。
 中川さんは、筆者が当然知っているものだと思っていらしたようですが、まったく知りませんでした。最新号は、横組みで詩が組まれており、一編一編には作者名も記されていませんが、10年ほど前のバックナンバーを見せてもらうと、作曲や美術など多彩な分野で活動しながら北大在学中に事故死した村岸宏昭さんや、写真を用いたコラージュで知られるクスミエリカさん、いまは網走で漁師のかたわら絵を描いている佐々木恒雄さん、ユニークなライブペインティングで知られるチQさんといった、見覚えのある面々が参加していました。
 号によってはCDの付録があり、ソロユニット「harineko」で活動する沙知さんも演奏しているようです。
 また、文章はほとんどなく、絵画ばかりの号もあり、「詩誌」という規定はふさわしくないかもしれません。

 筆者が手にしていたバックナンバーは2006年ごろのものでした。


2.2006年

 懐かしいな。

 この顔ぶれから思い出すのは、村岸さんの個展とか、チQさんのライブペインティングとか(これは2007年)。クスミさん、就職して仕事が多忙で大変そうだったな、とか。
 まだツイッターやフェイスブックやLINEじゃなくて、mixi の全盛期で、あれはコミュニケーションも取りやすかったし、荒らしもヘイトもデマもパクツイもクソリプもなくて、平和で良かったな、とか。

 雑誌に名を連ねていた人で「糸泉線」さんとおっしゃる方がいて、ちょうど、1990年代からゼロ年代にかけて道内を代表するオルタナティブスペースだった「Free Space PRAHA」が解体されるのにあわせ、ボイラー室にペインティングをするなど、いろいろな活動をしていました。
 当時稼動していた北海道美術ネットの掲示板に逐一活動を報告してくれていたけど、筆者は当時、渡島管内八雲町に転居していたため、ついにご本人には会えずじまい。いま、どうしているのでしょうか。


3.年を取るということ

 当時は筆者も若かった。
 終電ぎりぎりまでかかるような催しにもときどき顔を出していたことが、当時(2007年)のブログ記事からうかがえます。

 いまは体力的につらく、深夜のイベントにはほとんど参加できていません。
 こないだ物議を一部でかもした某イベントへの批判だけれど、要は筆者が年を取って、若い人たちの輪に入れなくなってしまったという事情を反映しているというだけなのかもしれないとさえ思ったりします。

 そして、この詩誌も、学生など20代の若者たちがわいわいと楽しみながら作っていた空気が、誌面から伝わってきます。
 多くの人は就職したり結婚したりすると、創作から離れていきます。
 間隔が大きくあいたとはいえ、この詩誌がなお続いていることは、すなおに、すごいと感じます。


4.紙の雑誌を出すことの意味はある

 ところで、インターネットの時代にわざわざ紙で詩誌を出すことの意味はなんでしょうか。 
 それは、こうして時を隔てた読者に届く可能性のためではないかと筆者は考えます。
 ネットには何でもあると思っている人は多いでしょうが、実は、分野によっては、何もわからないことが、よくあります。
 そして
「村上隆 召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか」をググっても北海道美術ネットが出ない件
でも書いたように、記事が古くなってしまえば、検索をかけても、ネットの海からサルベージできなくなってしまうかもしれないのです。

 あるいは、サーバ運営会社が倒産したり、サイト主宰者が削除したりすれば、後世の人は、それらの情報に永遠にアクセスすることができなくなってしまいます。

 印刷した紙の実物さえ残っていれば、誰かが未来に、それを見るかもしれない。
 そう思います。



 …などと、コーヒーを飲みながら、とりとめのないことを考えていたのでした。


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