11月2日の北海道新聞おくやみ面に、保原鋼太郎さんの名が載っていた。
89歳で、葬儀終了とあった。
保原さんは「6翔会」というグループで絵画を発表していた。
平成6年(1994年)に結成したから「6翔会」である。
ほかに坂元輝行さんや平山康勝さん、庄山政広さん、阿部政毅さんが所属していた。当時、すでに60~70代だった方たちで、写実的な風景画が多かった。
98年3~4月に札幌の大同ギャラリーで開かれた6翔会展の記事が、3月31日の北海道新聞夕刊に載っている。
それによると「精緻な画風。北大や札幌の北三条通のほか、一九八四年ころ描いた、改修前の小樽運河(の絵)に手を加えて出品した作品も」あるとのこと。
その頃、文化面にカットを掲載した記憶がある。犬の絵だったと思う。油彩に比べると、いささかラフな感じだった。
21世紀に入ってからは、保原さんの絵を見た記憶がない。
6翔会展は、おそらく98年が最後だったのではないだろうか。
ご冥福をお祈りします。
89歳で、葬儀終了とあった。
保原さんは「6翔会」というグループで絵画を発表していた。
平成6年(1994年)に結成したから「6翔会」である。
ほかに坂元輝行さんや平山康勝さん、庄山政広さん、阿部政毅さんが所属していた。当時、すでに60~70代だった方たちで、写実的な風景画が多かった。
98年3~4月に札幌の大同ギャラリーで開かれた6翔会展の記事が、3月31日の北海道新聞夕刊に載っている。
それによると「精緻な画風。北大や札幌の北三条通のほか、一九八四年ころ描いた、改修前の小樽運河(の絵)に手を加えて出品した作品も」あるとのこと。
その頃、文化面にカットを掲載した記憶がある。犬の絵だったと思う。油彩に比べると、いささかラフな感じだった。
21世紀に入ってからは、保原さんの絵を見た記憶がない。
6翔会展は、おそらく98年が最後だったのではないだろうか。
ご冥福をお祈りします。
わたしも最後にお会いして絵を拝見したのがおよそ20年も前のことなので、今すぐ手がかりが出てきません。ご遺族も返却されても困ると思うので、お持ちになっていた方が良いのではないでしょうか。