1ヶ月以上のブログの更新で、管理人が生きているのか病気にでもなったのかと気になった方もいらっしゃるかと思いますが、一応ちゃんと生きております。
最近、鉄活動も行っておりませんでしたが、ここ1週間ほど前から久々に鉄活動もできる時間があり、夏恒例の103系を求めて西へと遠征して参りました。言うまでもなくこんな私でも18きっぷを使用して、広島、岡山、大阪地区の103系などの撮影に7日から9日まで行って参りましたが、まずは風前の灯状態である広島地区へと足を運ぶことにしました。いつものように大垣行きのムーンライトながらを利用し、そのまま乗り継いでまずは岡山に到着。岡山で先行する列車に乗車し、岡山区内の様子を下り列車から覗うといつも2本いるはずの103系の姿が見当たりません。北長瀬で上り列車に乗車し、再び区内の様子を覗うとやはりどこにも103系の姿が見当たりませんでした。岡山駅で貸自転車を使って区内の様子を確認しようとも思ったのですが、この炎天下を走るのは苦痛で、しかも時間の無駄になるかもということで、あっさりと広島へと向かうことにしました。途中、尾道でちょっと昼飯ということでラーメンでも食べようかということで尾道で下車。実はつい1ヶ月前に亡くなった尾道の有名犬ドビンちゃんのご冥福も兼ねて下車したのですが、尾道住吉花火大会がこの日にあるということを尾道に到着してから知りました。私は1週間前に終わったものだと勘違いしていましたが、花火大会ということは花火臨があるわけで、食事後再び列車に乗車し、広島方面へ向かうと、次の糸崎で岡山区のH19とH20編成が一列に並んで留置されていました。とりあえずは広島へとこのまま足を運んだのですが、せっかくのチャンスを逃がすわけにはいきませんので、広島到着後すぐに引き返し、再び糸崎へと戻って参りました。時刻は既に16時を過ぎており、糸崎駅構内の留置線を見渡すと103系は1本が残っており、1本は既に出て行ってしまいました。もしや8連の103系を見れるのではと期待を抱いておりましたが、この時点で単独運用されることがわかり、それはそれで2本撮影できるのだからと開き直りました。糸崎駅構内に留置されていた103系が構内を移動し、岡山方から1番線に入線すると、その編成はH20(回送表示)でした。糸崎駅で臨時列車の時刻表を入手し、できるだけ光線的にも条件の良いところへ移動しようということで備後赤坂へと向かいました。花火臨は103系2本とも大門まで回送され、折り返し糸崎もしくは三原まで客扱いされるということで、その列車を狙うことにしました。花火臨の1本目(大門16:55発)がH19編成で、方向幕の表示が「臨時」と斜体文字で表示され、岡山地区の103系では普段見れないものであり、少々感動しました。
そして、先程、糸崎で回送で大門へ送り込まれたH20編成が花火臨の2本目(大門17:17発)として使用され、この列車の方向幕もH19と同様に「臨時」と表示されていました。残念ながらこのあとの103系上り方面の方向幕は確認できませんでした。(夕方の上り花火臨は尾道まで客扱い、その後回送)
広島到着後は113系・103系共通運用内に103系が運用されているのではないかということで全てチェックしたところ、この日は全て113系でした。広島所内も確認してみるとB09編成が確認でき、E07の方は確認できませんでした。(8日朝は天神川寄りの新幹線側に留置されているのを確認)
8日は可部線の朝の運用に103系が充当されることを想定し、今や定番になってしまいましたが、安芸長束の堤防へと向かうことにしました。広島7:22発の729Mに乗車し、途中、三滝でB09編成と交換を行いました。日曜日でも103系が充当されていたのですが、このまま予定どおり長束の堤防で1時間ばかし撮影しておりました。
103系D編成運用についてですが、この日はD1、D3編成と下関所115系C13編成が充当され、D2編成については広島所内の修繕庫内でクモヤにサンドされるように留置されていました。今後動きがあるものと思われますが、被害の状況が外から見れませんのでわかりませんが、果たして復帰できるのか、復帰できず阪和のMc車編成3連を改造の上転入するのか、どのような動きがあるのか今後が楽しみです。
広島での撮影後は大阪へと向かうのですが、途中、岡山区の様子を覗うと昨日花火臨として活躍した2本の103系はお休みということで動く様子もなく、18時代のかつて103系が運用についていた列車を確認後、大阪へと向かいました。
9日朝、前回も阪和線の103系混色編成を撮影しましたが、物足りないのか再び撮影することにしました。8日夜に運よくこの混色編成がA23に充当されているところを確認でき、この日はA24ということで予想ができましたので、まずは堺市の有名な踏切へ行ってみると先客が既に何人かいるということがわかり、急遽、我孫子町へ行ってみることに。阪和線の朝のラッシュ時はひっきりなしに列車が通過しますので、被られてもしょうがないのですが、無事に撮影でき、さらに長滝でも被られそうになりましたが、この混色編成を撮影することができました。
そう言えば、この混色編成の方向幕は字の大きさ(Q数)が小さいものが使用されていますが、私としては大きい方に取り替えてほしいものです。
最近、鉄活動も行っておりませんでしたが、ここ1週間ほど前から久々に鉄活動もできる時間があり、夏恒例の103系を求めて西へと遠征して参りました。言うまでもなくこんな私でも18きっぷを使用して、広島、岡山、大阪地区の103系などの撮影に7日から9日まで行って参りましたが、まずは風前の灯状態である広島地区へと足を運ぶことにしました。いつものように大垣行きのムーンライトながらを利用し、そのまま乗り継いでまずは岡山に到着。岡山で先行する列車に乗車し、岡山区内の様子を下り列車から覗うといつも2本いるはずの103系の姿が見当たりません。北長瀬で上り列車に乗車し、再び区内の様子を覗うとやはりどこにも103系の姿が見当たりませんでした。岡山駅で貸自転車を使って区内の様子を確認しようとも思ったのですが、この炎天下を走るのは苦痛で、しかも時間の無駄になるかもということで、あっさりと広島へと向かうことにしました。途中、尾道でちょっと昼飯ということでラーメンでも食べようかということで尾道で下車。実はつい1ヶ月前に亡くなった尾道の有名犬ドビンちゃんのご冥福も兼ねて下車したのですが、尾道住吉花火大会がこの日にあるということを尾道に到着してから知りました。私は1週間前に終わったものだと勘違いしていましたが、花火大会ということは花火臨があるわけで、食事後再び列車に乗車し、広島方面へ向かうと、次の糸崎で岡山区のH19とH20編成が一列に並んで留置されていました。とりあえずは広島へとこのまま足を運んだのですが、せっかくのチャンスを逃がすわけにはいきませんので、広島到着後すぐに引き返し、再び糸崎へと戻って参りました。時刻は既に16時を過ぎており、糸崎駅構内の留置線を見渡すと103系は1本が残っており、1本は既に出て行ってしまいました。もしや8連の103系を見れるのではと期待を抱いておりましたが、この時点で単独運用されることがわかり、それはそれで2本撮影できるのだからと開き直りました。糸崎駅構内に留置されていた103系が構内を移動し、岡山方から1番線に入線すると、その編成はH20(回送表示)でした。糸崎駅で臨時列車の時刻表を入手し、できるだけ光線的にも条件の良いところへ移動しようということで備後赤坂へと向かいました。花火臨は103系2本とも大門まで回送され、折り返し糸崎もしくは三原まで客扱いされるということで、その列車を狙うことにしました。花火臨の1本目(大門16:55発)がH19編成で、方向幕の表示が「臨時」と斜体文字で表示され、岡山地区の103系では普段見れないものであり、少々感動しました。
そして、先程、糸崎で回送で大門へ送り込まれたH20編成が花火臨の2本目(大門17:17発)として使用され、この列車の方向幕もH19と同様に「臨時」と表示されていました。残念ながらこのあとの103系上り方面の方向幕は確認できませんでした。(夕方の上り花火臨は尾道まで客扱い、その後回送)
広島到着後は113系・103系共通運用内に103系が運用されているのではないかということで全てチェックしたところ、この日は全て113系でした。広島所内も確認してみるとB09編成が確認でき、E07の方は確認できませんでした。(8日朝は天神川寄りの新幹線側に留置されているのを確認)
8日は可部線の朝の運用に103系が充当されることを想定し、今や定番になってしまいましたが、安芸長束の堤防へと向かうことにしました。広島7:22発の729Mに乗車し、途中、三滝でB09編成と交換を行いました。日曜日でも103系が充当されていたのですが、このまま予定どおり長束の堤防で1時間ばかし撮影しておりました。
103系D編成運用についてですが、この日はD1、D3編成と下関所115系C13編成が充当され、D2編成については広島所内の修繕庫内でクモヤにサンドされるように留置されていました。今後動きがあるものと思われますが、被害の状況が外から見れませんのでわかりませんが、果たして復帰できるのか、復帰できず阪和のMc車編成3連を改造の上転入するのか、どのような動きがあるのか今後が楽しみです。
広島での撮影後は大阪へと向かうのですが、途中、岡山区の様子を覗うと昨日花火臨として活躍した2本の103系はお休みということで動く様子もなく、18時代のかつて103系が運用についていた列車を確認後、大阪へと向かいました。
9日朝、前回も阪和線の103系混色編成を撮影しましたが、物足りないのか再び撮影することにしました。8日夜に運よくこの混色編成がA23に充当されているところを確認でき、この日はA24ということで予想ができましたので、まずは堺市の有名な踏切へ行ってみると先客が既に何人かいるということがわかり、急遽、我孫子町へ行ってみることに。阪和線の朝のラッシュ時はひっきりなしに列車が通過しますので、被られてもしょうがないのですが、無事に撮影でき、さらに長滝でも被られそうになりましたが、この混色編成を撮影することができました。
そう言えば、この混色編成の方向幕は字の大きさ(Q数)が小さいものが使用されていますが、私としては大きい方に取り替えてほしいものです。
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