Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

フィリピン国鉄12系客車に乗車

2010年03月04日 22時25分16秒 | フィリピン
またまた、フィリピンの話題から遠ざかってしまいましたが、本日は日本から無償譲渡された12系の話題を少々述べていきたいと思います。
フィリピン国鉄には14系も含め計41両が譲渡されたようですが、その内訳は2000年にJR東日本から12系が26両、14系が5両の計31両が譲渡され、その後Caloocanから北側のノースレール用として2003年に10両の12系が譲渡されたようです。
私が1月訪比した際に確認できた車両としては、7A-2029(オハ12-374)+7A-2019(オハ12-325)+7A-2006(スハフ12-116)+7A-2014(オハ12-232)+7A-2015(オハ12-233)+7A-2007(オハ12-111)の計6両が1日1往復のTutuban~Binan間の列車に使用され、Tutubanに予備ということで7A-2008(スハフ12-114)と7A-2025(オハ12-372)が留置されていました。また、この他にTutubanでは、NR-09(オハフ13-6)、スハフ12-60、オハ12-219~224のうちの1両の計3両のノースレール(JR九州)からの車両が確認できました。JR九州からの車両については下の写真のとおり側窓から下の部分が白色と細い赤帯2本が入り、現地の車両番号と思われる横に"inoueki"と表示されとります。この"inoueki"というのはペイントメーカーのようで、このペイントメーカーのおかげでJR九州からの譲渡が成立したようです。
写真はTutubanに留置されているNR-09(オハフ13-6)。Tutubanに留置されているJR九州の3両はBicol Express用とのことです。


一方、TutubanからCaloocanまでの線路はリハビリのためにレールは外され、この時点でレールは繋がっていないもののCaloocan工場ではJR九州の12系が5両とJR東日本の12系2両の計7両が確認できました。JR九州の車両としてNR-02、NR-03、NR-04、NR-06、NR-07が留置され、このうちNR-02、NR-06、NR-07の側窓の大部分もしくは一部分が外されており、修復する上では大規模な手間がかかりそうです。また、JR東日本の車両としてオハ12-801が全ての12系の中では最も綺麗な姿で留置されていますが、7A-2024の方は蔵の外で側窓を外し雨ざらし状態であり、かつ車内も荒れ放題であることから、近日中には解体されるのではないかと思われます。
写真は最も綺麗な姿で留置されているオハ12-801です。いつかはBicol Express用として活躍してくれるのでしょうか。


写真は雨ざらし状態である12系の7A-2024で、このまま隣に留置されている三角屋根の車両とともに解体されてしまうのでしょうか。


以上、おおまかに12系の状況を説明しましたが、Bicol Express用に計6両がリニューアル改造を受けており、この時点で5両がBicol地方のNagaに配置され、1両がTutuban駅の隅で展示用として留置されています。上記の5両はNaga地区のコミューターとして使用されていますが、ManilaからLegazpiまでの全線開通時にはおそらくBicol Express用として使用されるのでないかと思われます。

1月訪問時において、この12系客車列車に乗車することができましたので、簡単にその乗車体験記を記述したいと思います。乗車したのは1月13日の夕方でありましたが、この日は午後フィリピン南部のミンダナオ島からManilaに戻り、Binan近くのCarmonaの友達の家に訪問するついでに乗車してみました。MabiniのホテルからタクシーでBuendia駅方面を目指していたものの渋滞にハマってしまい、Binan行きの12系列車には間に合わないのではないかと思っていたところ、Vito Cruzでゆっくり走っていた12系客車に追いつき、Buendia駅近くの踏切でタクシーを降り、間一髪この12系客車に追いつきました。あと30秒も遅れていたら乗車できなかったはずではありますが、早速、列車に乗り込むとそこは真っ暗でありました。ジャカルタのEkonomi列車でさえ恐ろしいのではありますが、この列車の車内には全く電燈はついておらず、少々混み合う車内に入って腰を下ろすような雰囲気ではありませんでした。以前も述べましたように通常日本であれば1ボックス4人が座るところを6人が非常に窮屈そうに座っており、日本のように人と人の間隔についてはあまり気にしていないようです。フィリピンで最も大衆的な乗り物であるジープニーでも窮屈に座ることは慣れてしまっていますので、列車においても当り前のように窮屈そうに座るのだろうと理解していますが、この他LRTなどの列車に乗車し、乗客が揺れに耐え切れない時も私の体を手摺がわりにして、平気で私の肩に手をかけたりすることもあり、フィリピン人とのパーソナルスペースには慣れておりません。(日本であればセクハラになりえるかと思いますが)
ちょっと話しがそれてしまいましたので話しを元に戻しますと、私の乗車した列車は若干の遅れがあったものの順調にBinanを目指しておりました。Bicutanを過ぎると今まで上り線路を走行していたものの下り線路を走りました。このあたりから投石が酷くなり、デッキに立っていると石などが列車をめがけて飛んできました。外はとっくに日が暮れているため、投石があっても避けることもできないわけなのですが、それでも私はデッキに乗車しておりました。Sucatを過ぎるとここからは単線となるのですが、ここから先においても将来複線となることから、線路沿いの住居は撤去され、複線化工事が進んでいるようでした。バスやジープニーのターミナルのあるAlabangを過ぎると突然ゴツンという鈍い音がし、車内に野球のボールぐらいの大きな石がゴロンゴロンという感じで転がってきました。デッキに立っていた私でもこのような大きな石に当たれば大怪我してしまいますので、さすがに堪らないと思い車内に入ってようやく腰掛ました。Binanに到着するまで投石がManila周辺よりも多いように感じられたのですが、12系客車列車にこれから乗車される方はくれぐれも投石などには注意していただきたいと思います。
列車は15分ほど遅れてようやく終点のBinanに到着しました。乗客らは降車してしまうと駅は静まり返ってしまい、どこかの田舎の終点駅のような雰囲気でありました。機関車は明日の出発に備え機回しするのではないかと思っていましたが、そこはフィリピン人らしく明日は明日の風が吹くというような気楽さで明日の朝やるよと運転士が申しておりました。運転士らはこの駅で夕食にありつけ、この夜はこの駅に泊り込み、明日朝再び乗務するとのことでした。

写真は静まり返ったBinan駅に停泊する12系客車列車。