昭和53年7月31日の夕方のNHKのニュースを見ていた時だと思いますが、南武線の73系のさよなら運転の映像が流れ、かなりショックであった記憶があります。たしかに南武線では昭和51年頃までは圧倒的に73系の方が多く、73系が来ると乗らずに次の電車を待ち、好んで101系が来るまで待っていた思い出があります。とは言え73系がさよなら運転で知らずうちに消えてしまい、慌てて中原区に見に行ったりもしましたが、武蔵溝ノ口の電留線には廃車のために、一時的に73系が疎開されておりました。その1コマの写真ですが、立川方のクモハ73は私の好きな500番台全金車であり、行き先表示もなぜか浜川崎でした。73系の方向幕にはどのようなものが入っていたのか、はっきりした記憶がありませんが、二俣尾などが入っていてびっくりしたような記憶があるので、青梅線系統のものも入っていたかもしれません。
先日も述べましたが、南武線に103系の高運が運行されたのが、平成元年2月7日からで1700デから使用開始されました。編成はTc745 M372 M'528 M573 M'729 T'c442で、編成番号は14番が取り付けられました。写真は立川方のTc442で、登場まもない頃に撮影したものです。
南武線の103系の晩年は、前面窓や方向幕、運行幕のガラス支持が金属製に取替えられ、オリジナル好きな私としては残念でしたが、唯一Hゴム支持なのがナハ20のTc499とT'c444であり、個人的にはこの編成が一番最後に残ってほしい編成でした。以前は黒のHゴム車両もあったのですが、金属製に取替えられ少々残念です。
2002年4月に青梅線に103系さよなら運転が行われましたが、その後のGW時には中原区の103系4両編成を使用して、「川崎-奥多摩ハイキング号」として青梅線に乗入れました。この時の方向幕は写真のように専用の方向幕が用意されました。この時期を最後にハイキング号は201系四季彩にバトンタッチされ、昨年の秋まで続いておりましたが、今年のGWには大宮発着の「むさしの奥多摩号」に奪われてしまいました。今後の「川崎-奥多摩ハイキング号」はあるのでしょうか?
平成元年3月11日のダイヤ改正を前に、2月から3月にかけて南武線用の205系3本が中原区に配置されました。2月17、18、20、21日には武蔵中原~稲城長沼において乗務員訓練が行われ、2月27日には川崎~立川において性能試験が行われました。また、3月5日には川崎~稲城長沼で試乗会が行われました。写真は左が103系のMc11と右が205系Tc86です。ダイヤ改正時の話題はまた後日述べたいと思います。
平成元年2月、川崎重工より南武線用205系が初めて落成しました。写真は公式試運転で茅ヶ崎で撮影したものです。号車番号がなぜか黄色であり、現在もそのまま引き継いでいます。また、この号車番号は東海道線基本に号車番号が入れられておりますので、中原区到着後に全て逆に入換えているようです。
帯の色ですが、横浜線では2色採用されましたが、南武線では黄色、オレンジ、茶色の3色が採用されました。この色は川崎市内の中学生の案によるもので、外国のサッカーチームの色を見本にしたということで、偶然かどうかわかりませんが南武線の歴代の車両のカラーと一致しています。(青色の101系も一時期ありましたが)
帯の色ですが、横浜線では2色採用されましたが、南武線では黄色、オレンジ、茶色の3色が採用されました。この色は川崎市内の中学生の案によるもので、外国のサッカーチームの色を見本にしたということで、偶然かどうかわかりませんが南武線の歴代の車両のカラーと一致しています。(青色の101系も一時期ありましたが)
この写真はおそらくストライキの時に撮影したもので昭和52年~53年頃だと思います。この頃は旧型の73系を101系に取り替えるため、各電車区からオレンジや黄色の101系が転入してきた頃でした。73系は川崎~稲城長沼を基本的に4+2の6両編成で運行され、昼間には4両編成で運行されていました。稲城長沼~立川は有効長が4両までの対応であるため、稲城長沼で立川方2両の増解結が行われておりました。また、昭和52年9月よりシルバーシートが73系や101系に設置されましたが、ステッカーは横浜線のものとは違って(周りが白色のタイプ)、中央線や総武線と同じ暖色系のカラーに貼られている周りが紺色のタイプのものが貼られました。横浜線と南武線の73系では、貼付ける位置も違っていたかと思われます。写真は4+2の部分を撮影したもので、4両編成の立川方はクモハ73516です。
左から4+2の6両編成の73系、黄色の4両編成の101系、オレンジ色の4両編成(M'c77)、浜川崎線用のクハ16+クモハ11です。101系の4両編成はMc M' M M'cが通常ですが、2M2Tの編成があったかどうかはわかりません。写真はぼやけてしまい鮮明でないのが残念です。
南武線に第1陣で103系が豊田区から転入したのは、昭和57年6月~昭和58年3月で、ほとんどがオレンジ色でした。昭和58年3月23日にMc85 M'201 T210 M96 M'141 T'c509が最後に転入したのですが、なぜかMc85の山側の乗務員扉が黄色となっておりましたので、記念に撮影させていただきました。たしか記憶では転入直後はこの乗務員扉は黄色ではありませんでしたが、転入整備後に不具合があり、とりあえずどこからかわかりませんが取り付けられたものだと思われます。営業運転時にはこの乗務員扉はオレンジ色になっておりました。