ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

心からの合掌を。

2016-08-12 09:19:59 | 日記
熊本地震で唯一行方不明になっていた大和晃さんの ご遺体が見つかりましたとのこと。
心から、合掌いたします。

4か月。
ご家族の方々にとっては、長くて、辛い日々だったことでしょう。
〈何故、わが子一人だけが見つからないのか〉と。
二次災害の危険が高く捜査も難航したようですが、ご遺体であっても ご家族のもとへ
戻られて本当に良かったと思います。

でも、変わり果てた息子さんに会うことで、新たな悲しみに包まれることでしょう。
謹んで、大和晃さんのご冥福を お祈りいたします。

大きな悲しみに遭われた方に、励ましのことばをかけるすべは持っていません。
でも、お盆の前に見つかって、本当に良かったと思っています。

お盆が来ます。
あの人も、あの方も、彼の人も みーんな 還って来るような気がしています。
灯火管制の暗い夜に20歳を待たずに逝ってしまった姉も、
父も 母も 兄も 姉も……………懐かしいものすべてが。

本日、朝早く、墓参りに行って お花を供えてきました。
はしご酒ならぬ、お墓のはしご参り。
そんなダジャレを飛ばすことができるのも、歳月が過ぎたからなのでしょう。
逝った者たちは、もう悲しみのトゲを携えては来ないからです。

帰天され、2年数か月になる井上洋治神父様がおっしゃっていました様に、
それぞれの「生」の役目を終えた舞台裏で、
あの人も、あの方も、みーんな みんな、
『やぁ、お疲れ』
『ご苦労さん』
『まぁ 一杯』
『ちょっと、しんどい役回りだったなぁ』
などと、そんな宴が開かれているような気がするのです。

私は、なぜ生きてきたのか、
なぜ このような痛みと悲しみに遭ったのか、
何故、なぜ、何故?
解からないことだらけの人生であっても、
いつか、すっかり解かる時が、そんな宴が開かれていることを仰ぎ望んでいます。

   《わたしたちは、今は、鏡におぼろげに映ったものを見ている。
    だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。
    わたしは、今は一部しか知らなくとも、
    そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。》
                (新約聖書 コリントの信徒への手紙1 13章12節)
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