ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

“例外も たび重なれば 当たり前”

2016-08-10 06:40:06 | 日記
暑い あつい日が続いていましたが、今朝、涼しい風が吹いていました。
太平洋側を北上していった台風がもたらした涼しさだったようです。
まだまだ盛夏なのに、日昇時刻は夏至あたりからすると遅くなっています。

立秋も過ぎました。
もうすぐお盆。
よくみると、朝晩のあちこちに 秋の気配が感じられます。
お盆は 親せき縁者が顔を合わせる季節でもあるのです。

連れ合いの病院通いも一つ増え、私も「足・腰」を意識することが増えました。
でも、例年のように、例年の行事を迎えられるというのは、ありがたいことだと思っています。
そして、嫌なことを忘れていくということも大切かと。
「忘」は、「望」にもつながることもありますから。

でも、忘れてはいけないことも。
このところ、老朽原発の延命処置が、立て続けです。
『40年廃炉』の言葉は、死語になってしまうのでしょうか。
福島第1原発事故を教訓に見直された原子力安全規制は、
事実上、大きく方向転換してしまうような感があります。

老朽原発の運転延長は、
今年6月に認可を得た関電高浜原発1、2号機、
美浜原発3号機、についても、
原子力規制委員会は、合格証となる「審査書案」を了承しました。

40年という根拠は、
「圧力容器が中性子の照射を受けて劣化する時期の目安」
とされていました。
規制委が認めれば、「1度限りの20年」ということで、
あくまでも「例外的」処置の筈でした。

この点を、忘れてしまってはいけないのです。
「例外」が常態化すれば、
“例外も たび重なれば 当たり前”
となってしまいます。
こうした再稼働への動きに無関心になってしまうのはキケンです。

規制委の田中俊一委員長は、就任当時、原発の40年超運転について、
「延長は相当に困難」
と述べていました。
最近では
「費用をかければ技術的な点は克服できる」
という言い方に変わりました。
廃炉の選択が、経済原理に基づく電力会社の判断に託されるようではなりません。

福島の原発事故から、まだ5年数か月。
忘れてしまって、いけないことは、沢山存在しています。
憲法で保障される国民の自由及び権利は、
〈国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない〉ように、
原発の持つ危険さを、忘れ、あるいは目をそらしてしまってはいけないと思います。

昨日は「長崎原爆の日」でした。
世界は、沢山の原子爆弾を保有しています。
こちらも、忘れてはいけないことです。
                             〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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