ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「ペルセウス座流星群」は、見られませんでしたが。

2016-08-14 06:11:05 | 日記
「ペルセウス座流星群」
観たかったのです。
眺めたかったのです。
昔から、星を眺めることが好きでしたし、やっぱり、天体のショーですから。

でも、残念。
日中は快晴でしたのに、夜は雲が広がってしまいました。
〈雲の切れ間〉も あまり無く、観察はできませんでした。

流星群が見られないから、というわけでもなかったのですが、
孫が、借りてきたDVD「銀河鉄道の夜」(別役実 脚本)を、観ました。
以前、映画でも観、テレビ放映などで何回か観てはいるのですが、
「銀河鉄道の夜」は、やはり謎の多い(というより様々な解釈、受け取り方ができるという意味で)
作品です。

DVDの最後に、詩集「春と修羅』の「序」の一節が朗読され、
「ここよりはじまる」のテロップ……………が流されます。
ここが気にかかって、別役実の著書『イーハトーボゆき軽便鉄道』を、
本棚の奥から引っ張り出して読み返してみました。
(同著の「銀河鉄道の夜」に対する記述のタイトルは、《おわりからはじまる》となっていました。

本には「銀河鉄道の夜」への記述だけではなく、様々な賢治の作品へのコメントに対して、
アンダーラインが引いてありました。
確かに、26年前に私が引いたものです。
そして、書き込みも。

『よだかの星』の最後の記述の部分、
   《……………すぐとなりは、カシオピア座でした。
    天の川の青白いひかりが、すぐうしろになってゐました。
    そしてよだかの星は燃えつづけました。
    いつまでもいつまでも燃えつづけました。
    今でも、まだ燃えています。》
みにくい鳥・よだかが、鷹に脅迫され、空に向かって、どこまでも どこまでも飛び、
落ちて死んでしまいますが、よだかは星になったのです。

その部分の、私の〈書き込み〉の一部です。
〈世間的には虐げられている よだかですら、自らが生き延びるためには、
無意識のうちに より弱いものを食べる、という重みに気づいたのではないか……………
そうした不条理な生の営みすら、大いなるもののうちにあっては、
輝くものとして存在せしめられる、ということではないか〉と。

その他のアンダーラインの箇所を再考したり、もう一度、賢治の原作に目を通してみたりと、
東の空が白み始まるまで、時間を過ごしました。

どうやら、賢治や、別役実も交えて、〈私の銀河鉄道〉に乗車して、
イーハトーボを探っていたのかもしれません。

「ペルセウス座流星群」は、見られませんでした。
が、“まっ いいか”というところでしょうか。
                                〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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