ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

《よりよい人間になったりはしない》けれど。

2016-08-11 06:17:58 | 日記
《……………………………………
人は年をとっても、よりよい人間になったりはしない。
ものごとに動じなくなるかもしれない、アドバイスもできるようになるかもしれない、
けれど、知恵はつくとはかぎらないし、学び賢くなるともかぎらない。
急いでいた人はますます急ぎ、怒りっぽかった人はますます怒りやすくなり、
たいてい不寛容になる。
……………………………………
どちらかというと、美点より欠点のほうが、増長されていくような気もする》

上記の文は、『わたしの容れもの』 角田光代 著 幻冬舎刊 からの引用です。
角田光代氏は好きな作家の一人です。
まだ50歳前ですから、私の子供たちの年代より お若い方です。
このエッセー集、自身の身体(わたしの容れもの)に対して加齢と共に顕れることなどを、
エッセー風に語っています。

そうそう、なるほど、かもね、うーん。
と、感じ、肯き、苦笑いなどしながら、読みました。

角田光代氏とは親子ほどの年の差。
でも、
《人は年をとっても、よりよい人間になったりはしない》
との表現は、実によく加齢による一般的な思い込みの誤りを端的に指摘しています。
〈ばーば〉などは、年ばかり食っても、日々、頑なさが増強されるばかりです。

作者は「あとがき」で、加齢による変化に対して、
《…………けれども、そんなことを考え続けているわけにもいかない。
…………白髪を染めたり転ばないことに心を砕いたり、
変化に愕然としたり気づかなかったりして、
容れものとともに前へ前へと進んでいくしかない》
と、記していました。

「そうですねぇ、いろいろあっても、〈容れもの〉と共に生きるしかありませんものねぇ」
と、作者に共感・共鳴しました。
ちなみに、「ばーば」は白髪染めは しておりません。
〈転ばないことに心を砕く〉
これは、そのまま頂くことに。

昨日、ひ孫が来ました。
〈よりよい人間にはなっていない〉ばーばですが、
いっぱい、いっぱい触ってやりました。

柔らかい頬っぺは、新しいいのち そのものでした。
                               〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする