散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

定常の中で生活を営む術~成長ではなく質の向上を-日本がモデル

2016年04月10日 | 現代社会
特集『低成長時代をどう生き抜くか』(Foreign Affairs Report 2016/3)」の諸論文の中で、筆者は「長期停滞を恐れるな――重要なのはGDPではなく、生活レベルだ」(ザチャリー・カラベル(エンベスネット))に注目した。

表題「定常の中で生活を営む術~成長ではなく質の向上を-日本の様に」は筆者の意訳、英文表記は以下で邦訳も意訳であるから、筆者なりに考えてみた。
「Learning to Love Stagnation-Growth Isn't Everything-Just Ask Japan」。

Loveの訳として”楽しむ”が第一感で思い浮かんだが、少し軽いと感じて”営み”としてみた。逆にLearningを真面目に訳さずに“術”にしてみた。成長は量であるから邦訳の対比は倣ったが、文言は“質”にしてみた。

問題はStagnation (停滞)。
低成長でも、経済学的には停滞で正しいのだろう。しかし、一般的な言葉のイメージでは、止まって、淀んでいる様子を表現し、方丈記「淀みに浮かぶ泡沫はかつ消えかつ結びて、久しく止まりたるためしなし」を想い起こす。

そこで、最近読んだ、経済学者・齋藤誠氏の近著「経済学私小説 〈定常〉の中の豊かさ」(日経BP社)から“定常”を借用させてもらった。カラベル氏の着想も齋藤教授の問題意識と重なる部分があると思われる。筆者の発想としては一連の「成長から成熟へ」と同じであり、表現は異なっていても注目した所以である。
 『様々な「成熟時間の腐蝕」、現代的状況~成長から“成熟”への軌跡(13)140826』

ネットに掲載されているのは目次と概要だけで、後ほど、国会図書館で全文を読むつもりでいる。目次に概要を細切れにして当て嵌めると次の様になる。

 1.アメリカの格差と所得の停滞
  ・先進国は依然としてデフレから抜け出せずにいる。
  ・所得格差の危険を警告する声がますます大きくなる。
 2.失速した新興市場
   ・中国は投資主導から消費主導型経済への不安定な移行時期へ。

 3.GDP依存の弊害
  ・経済の先行きが各国で悲観的観測。
  ・この見立ては基本的に間違い。
  ・GDPはデジタルの時代の経済を判断する適切な指標ではない。

 4.低下する財とサービスの価格
  ・世界的に生活コストが低下している。
  ・賃金レベルが停滞しても、生活レベルの維持向上は可能。

 5.日本シンドロームからポスト成長モデルへ
  ・デフレと低需要は成長を抑え込むが、繁栄を損なうとは限らない。
  ・身をもって理解しているのが日本。
  ・世界は「成長の限界」、だが、繁栄の限界は未だ視野の外に。
 6.「成長の限界」VER2

カラベル氏は「4.低下する財とサービスの価格」に着目する。スタグフレーションにはならないわけだ。石油価格が大きく下落して、この冬の灯油料金は大きく下がった。数量的・平均的には、賃金上昇と同じ効果だ。

しかし、財とサービスの価格が下がった理由が問題であろう。成長が限界に達しても生活レベルという意味での繁栄は限界にきていない。それを理解しているのが日本だと言われると、ドキッとするわけだ。

「成長から“成熟”へ」を考えた際に、成長が相似型に大きくなるイメージに対して成熟は変化・脱皮のイメージと想定した。更に、動植物の変化・脱皮はその形、行動に関わるが、人間の場合は個人の知識・智恵をベースに社会的・文化的活動に関わるものとしてみた。
従って、人間としての成熟とは、内面的なことの表出が主になるはずだ。

カラベルの論文が「ポスト成長モデル」と「成長の限界VER2」についてどのように展開されているのか、興味深い。

      
コメント
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