散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

「状況を創り出す力」を鍛える道~W杯から見える日本の課題

2014年08月11日 | スポーツ
状況を創り出すとは、局面打開を仕掛ることだ。先の記事において、決勝戦の独のプレーを例にとってそれを説明した。各局面において、選手は新たな状況を創り出すことを狙って動き、プレーする。本大会で示されたサッカーの面白さは、激しい中にも、高度なレベルで状況を創出するプレーがチーム、個人のいずれでも随所にあったことだ。
 『チーム及び個人による「状況を創り出す力」140803』

仕掛けとは、基本的にチームのコンセプトをブレークダウンした具体的なプレーの連鎖である。勿論、個々の選手に依存する処は大きいが、チーム力として発揮できることが長丁場においては重要になる。これが準決勝・独対伯の意外な大差の背景にあるものだ。

これを身につけるには拮抗したチーム同士が、試合で全力を出し切る以外に道はない。その結果を集中的に分析し、次の試合に臨む様に練習する、チームコンセプトと具体的な試合内容の分析をベースに次のステップに進むのは、監督の手腕に依存する処が大きい。

そのなかで、個人の技量が発揮されるわけだが、個人の能力としては、一瞬の隙を創り、その隙を生かしてチャンスを拡大していく技を必要とする。チームコンセプトがあるだけでは、膠着してしまうからだ。

日本チームの三試合を振り「状況を創り出す力」が日本チームに乏しく、それが日本の文化と深く繋がっていることを認識してみよう。この認識がない限りは、日本サッカーはその時の監督・選手の多少の差によって世界の中を右往左往するだけに終わりそうだからである。

この点については、トップ指導者層も同じだ。前回大会の監督、コーチをそれぞれ務めた岡田、山本両氏はNHKテレビ解説で何を言ったのだろうか。印象的な場面が対ギリシャ戦で現れた。

ギリシャ戦の日本チームは、“マイペース”のパス回しは出来るが、ひとり少ないギリシャの少ないチャンスに対する積極的な奮闘が目立っていた。
アナが「日本の優位を得点に結びつけるには、現状のやり方の他に何が必要か?」、岡田は「今まで通り、同じことをやれば良い」と強調した。当事者は優位な状況において、“希望的観測”に支配されるものだ。山本も同調した。この同調も日本チームの先を暗示し、誰も何も言えず、状況に押し流されていくのだ。
 『マイペース・希望的観測・金縛り140620』

「今まで通り」という岡田、それに同調する山本、金縛りにあったかの様な日本の最高指導者の発言に、日本の文化の発現を見る思いがする。

コロンビア戦は、日本チームもまた、勝つための積極的な攻撃を、勇気を出して行う覚悟で臨んだに違いない。一方で、作戦が失敗すれば、敵のカウンター攻撃によって、玉砕を強いられることも、当然、念頭にあったはずだ。結果は1-4であり、大方の無言の予想通り、玉砕に近い内容であった。
 『選択の余地がない「硫黄島」的な戦いでの奮闘140625』

追い詰められることによってのみ、自らが行うことを自覚する。しかし、その時は遅い。これが「硫黄島」的なのだ。従って、栗林中将は欧米的なプロの観点からは評価されないと思われる。

評論家も同じだ。ジャーナリスト・大住好之氏はコロンビア戦の前に、当たり前のことを当たり前の様に云う。すなわち、何も言っていないことと同じだ。
「日本、リスク冒さねば生き残る道なし 日経2014/6/24」

コートジボワール戦は、野生動物(日本チーム)はサバンナ(世界のサッカー)の中で生きていけないことを示した試合だった。
 『日本チームが野生動物だったら餓死140615』
 http://blog.goo.ne.jp/goalhunter_1948/e/1519be2ef40eb63aa877b259cfdcf04d
ハイエナの狩りの如く、先ずディフェンダーが素早くマークの位置に入り敵の動きに制限を掛けることから始める事が必須だ。しかし、今日の日本チームは肝心な意思疎通ができずに、何となく敵に近寄るだけで、ボール奪取へ動きを合わせることができない。リーダー不在のチームになっていた。

改めて、浮き彫りにされたサッカー・日本チームとは、日本の文化を背負った“ひよわな花”かも知れない。それを打破するのは、個としての強さと表現を追求する新たな才能の持主が出現するのを待つ他にないかも知れない。

      
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