散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

朝日新聞のナショナリズム高揚記事~戦後も戦前と同じ

2014年08月09日 | 政治
広島・長崎の次はいよいよ終戦の日だ。毎年、マスメディアで繰り広げられる風景がこの夏も続く。とおもいきや、朝日新聞が従軍慰安婦問題に関し、「慰安婦の強制連行」報道は事実無根だったことを認める報道をしたのには驚いた。

この問題は「アゴラ」の池田信夫氏が10年来、追及してきた問題だ。当然、池田氏は徹底的に論評するだろうし、これまで、朝日の報道について、遠くは戦前の戦意高揚、近くは反原発に関して批判を展開しており、それも改めて、厳しく臨んでいるようだ。後日まとめて考えてみたい。

朝日新聞に限らず、マスメディアの戦前における戦意高揚記事は、大学時代に永井陽之助氏の授業で聴いたことを今でも良く覚えている。当時、日本製品の輸出問題で、米国市民も含めて騒ぎが大きくなった頃だ。米国の地方紙には「真珠湾攻撃」のアナロジーからサプライズアタックのイメージが氾濫している様子を話していた。ここでは、既発表の論文の中から紹介する。

日米繊維交渉の過程を取り扱った『同盟外交の陥穽』(初出、中央公論1972/2,「多極世界の構造」中公叢書(1973))から該当箇所(P189-190)を紹介しよう。周知の通り、この交渉では日米がその利害を巡って対立していた。

『今回の日米繊維交渉を巡る問題でも、新聞は、繊維業界を始め、各種圧力団体と共に…日米交渉の進行を妨げる役割を果たしてきた。…日本の新聞の持つ素朴な正義感や、自主外交を求める土着ナショナリズムが、長期的にみて、どのような結果を生むかの冷静な計算はなかったに違いない』。

氏は宮沢=スタンズ会談が決裂した直後の朝日新聞社説(1970/6/24)を紹介する。『今回の日米繊維交渉は、日本が米国の要求を拒否した初めてケースであり、戦後の外交史のなかで初の“自主外交”とみられよう』。

これを氏は、1933年、国際連盟を脱退して帰国した松岡洋右を迎えた当時の新聞論調と極めてよく似ていると指摘する。朝日新聞は以下の様に述べる。
『日本の立場、日本の東洋における指名と国民的確信についてな、国民のいわんとしているところを極めて率直に言い尽くして遺憾なきものがあった』。

氏はまとめとして、次の様に指摘する。
『…これらの日米交渉も、米国に貸しをつくる効果にはいささかもならず、いたずらに後味の悪い、日米間の悪感情のしこりを残すだけであろう』。

池田氏は、今回の「従軍慰安婦報道問題」に関連して、過去の記事(2010/10/1)を紹介し、「最も過激な戦意昂揚記事を書いたのは、朝日だった。たとえば1945年8月14日の社説は、次のように書いて本土決戦を主張した」指摘する。

「原子爆弾は相当の威力を持つものに違いない。しかしながら、すべて新兵器は最初のうちは威力を発揮しても、やがてその対策の樹立されるに及んで、その威力をとみに減殺されることは従来の事実がこれを証明している。…敵の暴虐に対する報復の機は、一にこの国民の胸底に内燃する信念が、黙々としてその職場において練り固めつつある火の玉が、一時に炸裂するときにある。」

これには筆者も驚いた!更に池田氏は、この記事について次の様に云う。
「原爆が落とされ、ポツダム宣言も受諾したのに、まだ「敵の暴虐に対する報復」をあおっている。ところがその翌日、戦争に負けると、朝日は一転して「平和国家を確立せん」という社説を掲げ、憲法制定後は「平和憲法擁護」のキャンペーンを張った」。

確かにこれは、朝日新聞の真実だろう。しかし、朝日新聞に限ったことでもなかたのではないだろうか。