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ギクリのブログ。たまに自意識過剰。

丹後地域にも見られる大黒天の鬼瓦

2022-05-14 | どうでもいい知識
【これまでの記事】
中国地方に見られる大黒天の鬼瓦について
続・中国地方に見られる大黒天の鬼瓦について

京都府北部と兵庫県の一部を旅行しました。
そしたら中国地方に多い大黒天の鬼瓦を
主に丹後地域で見つけましたので報告します。

「大黒天」または「打出の小槌」の
鬼瓦を見かけたのは以下の地域です。
(今回京都府舞鶴市は未訪問)

旧丹後国
・京都府福知山市(旧大江町)
・京都府宮津市
・京都府与謝野町
・京都府伊根町?※
・京都府京丹後市

※バス車窓からの確認で場所が不明確の
 ため、隣接市である可能性あり


旧丹波国
・京都府福知山市(市中心部近辺)
・兵庫県丹波市

旧播磨国
・兵庫県福崎町

書き出しましたが、丹後以外の地域では
それほど見かけず、丹波はそれなりに
ありましたが福崎町は1軒だけです。
丹波に南下すると石州瓦っぽい屋根が
減り、黒い屋根でもテカテカの瓦では
なく薄い色に見える瓦が多いです。
兵庫県ということで淡路瓦かもしれません。
播磨でも多可町や西脇市だと私の通った
道では全く見かけませんでした。

一方で丹後はかなり大黒天の鬼瓦が多い
エリアによっては石州瓦のご当地島根県に
負けないくらい見かけました。
複数のお寺にもありましたよ。神仏習合!
丹後では周りの瓦と同素材の顔や
石を彫ったような顔も見かけましたし、
壁が洋風なのに大黒天の鬼瓦が付いた
瓦屋根の住宅もありました。
石州瓦は赤と黒がありますが、この辺の
大黒天の鬼瓦がある屋根瓦は黒ですね。

与謝野町の西光寺の境内にも大黒天と
打出の小槌の鬼瓦があり、気になって
ガイドしていただいた方に伺ったところ、
「地元にも瓦業者がいるので、島根県の
業者が来て瓦を葺いたわけではないのでは」
との回答でした。この近辺にあるという
七福神(大黒天以外も)の全身像や
花などをあしらった鬼瓦・飾り瓦の
写真を見せてくださいました。
飾り瓦といえば、与謝野町の別のエリア
(海側)で桃の飾り瓦を見かけました。

で、この辺で本当に石州瓦を使うことが
あるのかどうかですが、兵庫県丹波市内、
JR福知山線の車窓(市島駅と黒井駅の間)
から見える石田瓦店の建物に「石州瓦三州瓦
淡路瓦特約店」という文字を確認しました。
石州瓦三州瓦淡路瓦は日本三大瓦ですね。
三州瓦は三河すなわち愛知県です。
このお店はGoogleマップでは閉業と
ありますが、閉業前は石州瓦を取り扱って
いたということになりますので、丹波でも
石州瓦の需要が(少なくとも閉業前は)
あったということが分かります。

さらに瓦業者を調べてみました。
京丹後市のアルファのサイトによると
島根県で製造された石州瓦の販売を
行っており、施行エリアは丹後、丹波、
但馬とのこと。おっ、但馬も入るのか!
自前で石州瓦と同じ製法で瓦を作る
のではなく島根県の瓦メーカーの瓦を
使うので、メーカー側で大黒天の商品
ラインナップがあってそれを購入すれば
丹後にも大黒天が現れるということに。
丹波市の朝倉瓦店のサイトには
「当社施工の屋根瓦には全て凍害に強い
石州瓦(島根県)か三州瓦(愛知県)を
使います。」とありました。
寒冷な内陸や積雪のある日本海側では
石州瓦が適していて需要があるのでしょう。
営業エリアは丹波だけでなくもっと南の
方も一応入ってますが、兵庫県は南に
行くほど温暖なのと、現代建築が増え
瓦屋根の住宅が減っているのとで、
石州瓦の需要はさほど多くないかと…。
以前訪れた岡山県でも寒冷な北部内陸と
違って温暖な南部瀬戸内海側では
石州瓦をあまり見かけなかったですね。

石州瓦工業組合の「石州の瓦屋根
(関東事例集)」
p2によると、
元来、石州瓦は、寒さに強く耐久性
優れた瓦として、主に日本海沿線の
平野部や山間部に普及し、江戸時代の
後期から明治中頃になると北前船に
よって北は北海道の松前、南は九州
北部まで普及していきます。
ということです。
日本海沿岸の丹後や山間部の丹波では
元々石州瓦が普及していたようです。
私は未確認ですが、石見・出雲・伯耆と
丹後・丹波にあるのにその間に位置する
因幡・但馬にないというのは考えにくい
ので、鳥取県東部や兵庫県日本海側にも
石州瓦そして大黒天の鬼瓦があるんじゃ
ないかと推測しています。
因幡や但馬へ旅行する予定は当面
ありませんが、行ったら自分の目で
確認してみたいですね。
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続・中国地方に見られる大黒天の鬼瓦について

2021-10-30 | どうでもいい知識
※前回記事はこちら

全国的にコロナ感染者数が減少したので
先日島根県西部を旅行してきました。
旅行レポはそのうち書く予定ですが、
島根県西部といえば石見国すなわち
石州瓦の本場ですので、以前記事にした
大黒天の鬼瓦が島根県内の屋根に
あったかどうかや観光先での聞き込み
結果を取り急ぎ報告します。

島根県全市町村を旅行したわけでは
ありませんが、島根県内で大黒天の
鬼瓦を見かけた地域を列挙します。
このうち上の3市が旧石見国です。

・島根県浜田市
・島根県江津市
・島根県大田市
・島根県出雲市
・島根県雲南市
・島根県奥出雲町
・島根県松江市

益田市も訪問していますが、駅近くの
和風民家の少ない地区しか回っておらず
未確認です。大黒天の鬼瓦のある地域では
打出の小槌の鬼瓦も同様にありまして、
出雲市内では大黒天の袋のような鬼瓦も
見かけました。旧家では家紋が多いかな。
1か所お寺の境内でも打出の小槌見かけた。


石見地方は石州瓦の家屋自体が多く、
特に「赤瓦の町」を謳う江津市では
江津駅前の施設や市役所が赤い石州瓦で
(民家は黒い石州瓦も多い)、
浜田市でも小学校などの公共施設に
赤い石州瓦を使っているのを複数
見かけました。この2市と大田市に
石州瓦の生産業者があります。
ちなみに公共施設や郵便局では
特定宗教に関係するデザインが
適切でないからか、石州瓦の屋根で
あっても大黒天や打出の小槌の
鬼瓦は使われていません。
出雲地方も石州瓦の家屋が多いですが
石見地方のように公共施設でも積極
使用ってほどでもないかと思います。
島根県内で石州瓦を使って家を建てたり
葺き替えたりすると助成金が出ると
石州瓦工業組合のサイトにありました。
大田・江津・浜田・益田では市独自の
助成制度があり、それ以外の県内では
子育て世帯に限った助成制度のようです。
助成制度により石州瓦を普及・維持させて
地域の伝統文化を守っているんですね。
赤瓦のほかに黒瓦もありますが、黒瓦は
一時流行ったもので、詳しい人が見れば
施工時期が分かるらしいとの情報入手。

石見銀山の大森の町並みや、出雲大社
周辺でも大黒天の鬼瓦を多数目撃。
大森の家屋はおそらく商家だと思うので、
前回記事で「商家では見られない」と
書いたのは訂正します(岡山県真庭市の
勝山の町並みで確認できなかったので
商家にはないと思い込んでた)。
一定数の観光客が訪れる場所にあるのに
ネット上で考察があまり出てこないのが
不思議です。普通気にならない?
あんなとこに顔が嵌まってるんだよ?

出雲大社の北島国造館前の社家らしき
家屋の屋根にも大黒天の鬼瓦を発見。
これにより大黒天なのは確定です。
出雲大社との関係の薄い他の神様の
鬼瓦は敢えて採用しないと思うので。
古代出雲歴史博物館にあった説明によると
「出雲大社は、室町時代頃から福の神を
祀るとして信仰を集め、江戸中期には
ダイコクさんの総本宮として知られる
ようになりました」と。そこで紹介
されていたダイコクアイテムのうち
米俵の鬼瓦は見なかったですね。

いくつかの施設で質問しました。
まずは石見銀山の熊谷家住宅で
大黒天と恵比寿の像を飾っていたので
この地域で大黒天信仰が厚いのか
スタッフの方に聞いてみました。
像の一対は京都女子大学の教授からの
寄贈で、当地に伝わるものではないそう。
鬼瓦は石州瓦の特徴や瓦業者の商品
ラインナップによるもので、大黒天信仰が
厚いかは不明とのお答えでした。

また、出雲市平田の木綿街道交流館でも
屋根瓦についてガイドの方に聞きました。
大黒天などは縁起物で採用されているが
比較的新しい鬼瓦なんだとか。
出雲地方では石州瓦ではなく出雲瓦があり、
古い出雲瓦の屋根では大黒天などの鬼瓦は
なく、てっぺんに棟石を載せるそうです。
古い出雲瓦の側面はへの字が逆になって
いるような変わった形ですが、これは
「火事対策で松江藩が民家を藁葺き屋根
から瓦屋根に変えようとしたものの、
あまり進まず瓦職人がよそに売るので、
よそに売れないよう変わった形にさせた」
とのことです。屋根の棟石は松江市
宍道駅近くの八雲本陣でも見られます。

大黒天の鬼瓦の新情報まとめです。

・大黒天で間違いない
・石州瓦が普及している島根県内各地にある
・商家でも見られる
・(少なくとも出雲地方では)比較的新しい

新しいといっても、石州瓦の葺き替え時期の
目安は「30~50年」とのことですので、
それなりに古い可能性はあります。

これだけ各地で見られるということは
熊谷家住宅でのお話のとおりオーダー
メイドではなく商品ラインナップだと
思うので、瓦を生産している業者に
聞けばたぶん一発で分かるでしょう。
私はメディアのライターではないので
業者に取材まではしませんが…。

※京都府内で確認した続編記事はこちら
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婿殿

2020-10-03 | どうでもいい知識
東洋史専攻でしたが日本史の記事。
たまに日本の特に古代史に興味が湧いて
Wikipedia眺めてたりしてるのですが、
先帝から血筋の離れた天皇が即位する場合に
先帝の系統の女性と結婚しているケースが
いくつか見られるのが気になりました。
タイトル婿殿ですが必ずしも入婿ではないです。
(専門じゃないので以下は通説に従います)

有名なのは古墳時代の継体天皇ですね。
先代の武烈天皇の系統に男子がいなくなり
(雄略天皇が皇位継承のライバル達を殺して
男系が減ったから…)越前から迎えられた
ものの、記紀を信用するにしても応神天皇の
5世孫であり武烈天皇の血筋からは遠いです。
継体天皇にはすでに妻子がいましたが、即位に
当たり武烈天皇の妹の手白香皇女を皇后として
います。一説によれば抵抗勢力がいてなかなか
大和に入れなかったと言われていますが、
先代からすると遠戚の継体天皇が正当な後継者で
あると世に知らしめるためには、先代の系統の
女性の婿となることが必要だったのでしょう。
最終的には手白香皇女との子の欽明天皇と
その子孫が皇位を継承しています。

実は武烈天皇の父の仁賢天皇とその弟の
顕宗天皇も、先代の清寧天皇とはとこ関係で
傍系に当たります。兄弟は清寧天皇の父の
雄略天皇に父が殺され逃げ隠れていたのを後に
発見され、子のない清寧天皇の後継者とされたと
記録されています。先に即位した顕宗天皇は
雄略天皇(あるいはその父の允恭天皇)の子孫と
される難波小野女王を、次に即位した仁賢天皇は
雄略天皇の娘の春日大娘皇女を皇后としています。
逃亡していたのであれば最初から後継者として
見なされていたわけではないと思われますので、
先代清寧天皇に近い血筋の女性を妻とすることで
自らを清寧天皇の正当な後継者であるという
ことを主張しようとしたとも考えられます。

奈良時代の光仁天皇も先代の称徳天皇からは
血筋が離れています。天智天皇崩御後に起きた
壬申の乱以降、皇位が天武天皇とその男系子孫
またはその妻により継承されることになりましたが
(妻=持統天皇と元明天皇=天智天皇の娘ですし、
女系を見れば天智天皇の娘と天武天皇との子孫が
継いでいますが)天武系の子孫は長屋王の変など
政争と粛清が相次ぎ、称徳天皇の頃には男系の
継承者がほとんどいなくなってしまいました。
光仁天皇は天智系(天智天皇の孫)ですが、
天武系の聖武天皇の娘(称徳天皇の異母姉妹)
の井上内親王を娶って他戸親王が生まれており、
他戸親王が後継者となれば天武系も女系で継がれる
ため、それが決め手で称徳天皇崩御後に天皇に
選ばれたようです。結局井上内親王と他戸親王は
陰謀で死に追いやられたので、天武系の血統が
その後に継がれることはありませんでした。

血筋が離れているといえば室町時代、称光天皇に
子がなかったため父親同士がはとこ関係という
後花園天皇が即位しましたが、この際は先代系統の
女性との結婚を伴っておらず、称光天皇の父の
後小松上皇の猶子となる形で即位しています。
そもそも室町時代の女性皇族ってだいたい寺に
入っててあまり結婚してないような。

江戸時代、後桃園天皇とその次の光格天皇も、
後桃園天皇の父の桃園天皇と光格天皇がはとこと
いうことで遠い血筋から皇位を継いでいます。
後桃園天皇の後継を決める際、後桃園天皇の
一人娘の欣子内親王が成長したら娶るという
条件が考えられており、既婚の皇族はそれで候補
から外れたそうです。光格天皇と欣子内親王は
後に結婚しますが、生まれた子は幼くして亡くなり
後桃園天皇の血統は途絶えています。

政権交代頃から皇位継承の議論に関する記事を
ちらほらネットで見かけるようになりましたが、
旧宮家に生まれた男系の男性が皇室に復帰する
ことにより男系継承を維持する方策を採る場合、
旧宮家と現在の皇室との共通の男系祖先を辿ると
遠く室町時代まで遡るということですので、
以上の先例に従えば現在の皇室のどなたかの
女性の婿として復帰することになるのでしょうか。
現代の皇室は政治を執ることはありませんが、
縁戚関係を結ばず皇室の仲間入りをするよりも
婿入りする形の方が国民感情として受け入れられ
やすいと時の政権に判断されれば、あるいは
先例に従うこともあるのかもしれません。
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中国地方に見られる大黒天の鬼瓦について

2020-05-16 | どうでもいい知識
今回岡山県と広島県を旅しまして、
以前鳥取県琴浦町で見かけた「大黒天の顔が
嵌められた鬼瓦」を何か所かで見かけました。
見かけたのは以下の広島県・岡山県内陸部です。

・広島県福山市(御領駅近くの内陸)
・広島県世羅町
・広島県尾道市
・岡山県高梁市
・岡山県吉備中央町
・岡山県真庭市
・岡山県鏡野町
・岡山県津山市

拡大してるので画質よくないですが写真を1枚。


インターネット情報ですと島根県でも見られるとか。
顔の正体が大黒天だとしたのは、鏡野町で
この顔の鬼瓦のある住宅のそばで
「打出の小槌」の鬼瓦を見かけたからです。
以前の琴浦町の記事では恵比寿としてましたが。

(1) 屋根瓦はテカテカの黒か赤褐色の釉薬瓦
(2) 農家で見られ、商家では見られない

という共通の特徴もありました。
(2)は大黒天が主に豊穣の神様だからかもしれません。

(1)の瓦ですが、調べたところ石州瓦のようです。
石州=石見国=島根県西部で生産されている瓦で、
凍結や雪に強いため日本海側でよく用いられてきたとか。
石州瓦工業組合の「赤瓦の街並を歩く」p18によると、
この石州瓦は北前船で日本海沿いに伝搬しただけで
なく、当時の街道を伝わり陸路でも運ばれたとのことです。
現代の感覚だと岡山県の内陸が島根県に近いイメージが
湧きませんが、出雲街道というのが今のJR姫新線と似た
ルートを通っており、真庭や津山はこの街道沿いです。
瀬戸内海に近い地域での「大黒天の顔が嵌められた鬼瓦」
の目撃件数が少ないのは、日本海側や内陸部に比べて
温暖なため必ずしも石州瓦を使わないといけない状況に
なかったからというのもあったのでしょうか。

大黒天は出雲大社で祀られる大国主との習合があり
島根県では親しまれる神様だろうと推測されますが、
出雲文化圏ではなく吉備文化圏に当たる地域でも
鬼瓦に用いられている理由は石州瓦にあるのでは
ないかと思います。

※島根県内で確認した続編記事はこちら
※京都府内で確認した続編記事はこちら
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星座雑考

2012-12-09 | どうでもいい知識
小学生の頃、歴女だったと同時にちょっとした天文少女でした。
星占いが好きだったところまでは普通の女の子でしたが(笑)
そこから星座に興味を持って星座図鑑を買ってもらって、
さらに宇宙は広がり続けるのか、やがて縮まり始めるのか
なんて本をいとこから譲ってもらって読んでました。
小学校で見せられたビデオで、宇宙旅行してたらブラックホールに
呑まれそうになるシーンがあって、「太陽系から最も近い恒星でも
約4光年離れてるのにそんな近くにブラックホールあるわけねーだろ」
とツッコミ入れてた生意気な子供だった(爆)。

現在、星座というと88ありますが(西洋基準のやつですね。
昔あったけど明るい星がない等の理由で廃止されたのも
あるらしい)、有名な星座はギリシャ神話などが基になった
ロマンティックな伝説付きのも多いですね。
しかし、西洋人が大航海時代に南半球を航海してから作られた
南半球の星座はそんなのほぼなし(笑)。
大航海時代以降に作られた星座には、孔雀、風鳥、巨嘴鳥、
カメレオン(明るい恒星がなくて本当に目立たない(笑))
のような異国の動物も。ラカーユが1763年に作った星座には
コンパスや顕微鏡など道具系のネーミングが目立ちます。
テーブルさん座って何さ?って思ったら、南アフリカにある
テーブルみたいに上が平たい形をした実在の山らしい。
決して「人名テーブル+敬称さん」じゃないYO!(爆)

星座を構成する恒星の名前でも、古代からある星座だと明るい星には
シリウスとかアンタレスとか名前が付いてることが多いですが、
南半球の星は「○○座β星」みたいに記号代わりのギリシャ文字しか
付いてないことが多いです。ただ、そもそも明るい星が北半球ほど
ないですが(北半球でも南半球でも見える明るい星もあるので
南半球の星空が真っ暗ってことはないですが、天の北極付近にあって
南半球からはあまり見えない星と、天の南極付近にあって北半球からは
あまり見えない星を比べると、前者の方が明るい星が多いです)。
明るい星が周りにないのは宇宙の遠くを観測するにはいいらしいけど。

そんな南半球の星座にインディアン座といういかにも「大航海時代後に
作りましたよ~」なものがありまして、そこにε星というのがあります。
太陽系から11.82光年なので、比較的近い恒星ですね。
そのためかSFで宇宙人がこの星に登場することもあるらしい。
この星から見ると、太陽はおおぐま座の中の星に見えるそうです。
おおぐま座というと北斗七星ですが、柄杓型になってる柄杓の中に
入る感じみたい。2等星ならそこそこ明るく見えますね。
(でもこの星から見ても北斗七星は大体あの形なんだろうか?)
少なくとも現代においては我々は地球から離れるといっても
せいぜい月辺りまでなので仕方ないですが、どこに行っても
地球と同じように星座が見えるようについ勘違いしがちなもんです。
でも地球の夜空では同じ星座の中にあってすぐ隣に見える星でも
実際の星どうしの距離や地球からの距離はバラバラなわけで、
広い宇宙の別の場所から見ると実は全然違う見え方になったり、
太陽もそんな数多の星の一つになるんですよね。

北極星が約25000年で一巡するローテーションがありますが(今は
こぐま座α星ですがあと2100年もするとケフェウス座にバトンタッチ。
南極星もそうだけど今は天の南極の近くに明るい星がなく「空位状態」
説あり)同じ地球上でも時代が変われば星の見え方も変わるわけです。
北極星の件は地球の自転の関係ですが、太陽や他の恒星も銀河系の中を
動いてるので、他の星との位置関係が長い年月のうちに少しずつ
変わっていって、星の見え方が今とは全然違うものになりそうですね。
もっと言うと、今見えてる星でも赤い年寄りの星は超新星爆発なんかで
もうすぐ一生を終える可能性があって(オリオン座の赤いベテルギウスは
寿命が近く超新星爆発するかもと騒がれてるらしい。有名な星座の有名な
一等星じゃん…ちなみに爆発したら月レベルに明るくなるらしい)
そうすると星座を構成する星が減ることになります。
光の届く速さを考えると、今見えてる星でもすでに一生を終えてる
星もあるかも(ベテルギウスなら640光年の距離があるから、今地球で
見えてる姿は640年前の姿であって、その後爆発してる可能性も)。
逆にこれから新たに生まれてくる星もあることでしょう。

一見不変に見える星空も、場所や時代が変われば違って見える。
場所といっても人間が行こうとしても叶わない遠い場所、
時代といっても死ぬまでに見ることが叶わない遠い時代、
遥か彼方のスケールの大きな話ですが、不思議なものです。
固定観念はいけませんねという教訓にすべきか…まあいっか(笑)。


調べてたら、太陽の赤色巨星化よりも、銀河系がアンドロメダ銀河と
衝突する方が早そうですね。アンドロメダ銀河が夜空にとても大きく
見えるらしい。でもさらに調べてみたら、その前に太陽が熱くなって
10億年もしたら地球は暑すぎて生命が住めなくなるみたいです。
あ、以前の記事の地軸の傾きの問題よりも先に来るのかな。
太陽よりもう少し遠い火星に移住するにしても、気温や大気以外にも
たぶん放射線の問題なんかもあるんでしょうし、火星もそのうち
住めなくなるかもしれませんし、どのみち厳しいですねえ。
21世紀中に死ぬ身でよかったと言うべきか。
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