今回岡山県と広島県を旅しまして、
以前鳥取県琴浦町で見かけた「大黒天の顔が
嵌められた鬼瓦」を何か所かで見かけました。
見かけたのは以下の広島県・岡山県内陸部です。
・広島県福山市(御領駅近くの内陸)
・広島県世羅町
・広島県尾道市
・岡山県高梁市
・岡山県吉備中央町
・岡山県真庭市
・岡山県鏡野町
・岡山県津山市
拡大してるので画質よくないですが写真を1枚。
インターネット情報ですと島根県でも見られるとか。
顔の正体が大黒天だとしたのは、鏡野町で
この顔の鬼瓦のある住宅のそばで
「打出の小槌」の鬼瓦を見かけたからです。
以前の琴浦町の記事では恵比寿としてましたが。
(1) 屋根瓦はテカテカの黒か赤褐色の釉薬瓦
(2) 農家で見られ、商家では見られない
という共通の特徴もありました。
(2)は大黒天が主に豊穣の神様だからかもしれません。
(1)の瓦ですが、調べたところ石州瓦のようです。
石州=石見国=島根県西部で生産されている瓦で、
凍結や雪に強いため日本海側でよく用いられてきたとか。
石州瓦工業組合の「赤瓦の街並を歩く」p18によると、
この石州瓦は北前船で日本海沿いに伝搬しただけで
なく、当時の街道を伝わり陸路でも運ばれたとのことです。
現代の感覚だと岡山県の内陸が島根県に近いイメージが
湧きませんが、出雲街道というのが今のJR姫新線と似た
ルートを通っており、真庭や津山はこの街道沿いです。
瀬戸内海に近い地域での「大黒天の顔が嵌められた鬼瓦」
の目撃件数が少ないのは、日本海側や内陸部に比べて
温暖なため必ずしも石州瓦を使わないといけない状況に
なかったからというのもあったのでしょうか。
大黒天は出雲大社で祀られる大国主との習合があり
島根県では親しまれる神様だろうと推測されますが、
出雲文化圏ではなく吉備文化圏に当たる地域でも
鬼瓦に用いられている理由は石州瓦にあるのでは
ないかと思います。
※島根県内で確認した続編記事はこちら
※京都府内で確認した続編記事はこちら
以前鳥取県琴浦町で見かけた「大黒天の顔が
嵌められた鬼瓦」を何か所かで見かけました。
見かけたのは以下の広島県・岡山県内陸部です。
・広島県福山市(御領駅近くの内陸)
・広島県世羅町
・広島県尾道市
・岡山県高梁市
・岡山県吉備中央町
・岡山県真庭市
・岡山県鏡野町
・岡山県津山市
拡大してるので画質よくないですが写真を1枚。
インターネット情報ですと島根県でも見られるとか。
顔の正体が大黒天だとしたのは、鏡野町で
この顔の鬼瓦のある住宅のそばで
「打出の小槌」の鬼瓦を見かけたからです。
以前の琴浦町の記事では恵比寿としてましたが。
(1) 屋根瓦はテカテカの黒か赤褐色の釉薬瓦
(2) 農家で見られ、商家では見られない
という共通の特徴もありました。
(2)は大黒天が主に豊穣の神様だからかもしれません。
(1)の瓦ですが、調べたところ石州瓦のようです。
石州=石見国=島根県西部で生産されている瓦で、
凍結や雪に強いため日本海側でよく用いられてきたとか。
石州瓦工業組合の「赤瓦の街並を歩く」p18によると、
この石州瓦は北前船で日本海沿いに伝搬しただけで
なく、当時の街道を伝わり陸路でも運ばれたとのことです。
現代の感覚だと岡山県の内陸が島根県に近いイメージが
湧きませんが、出雲街道というのが今のJR姫新線と似た
ルートを通っており、真庭や津山はこの街道沿いです。
瀬戸内海に近い地域での「大黒天の顔が嵌められた鬼瓦」
の目撃件数が少ないのは、日本海側や内陸部に比べて
温暖なため必ずしも石州瓦を使わないといけない状況に
なかったからというのもあったのでしょうか。
大黒天は出雲大社で祀られる大国主との習合があり
島根県では親しまれる神様だろうと推測されますが、
出雲文化圏ではなく吉備文化圏に当たる地域でも
鬼瓦に用いられている理由は石州瓦にあるのでは
ないかと思います。
※島根県内で確認した続編記事はこちら
※京都府内で確認した続編記事はこちら