Gikuri

ギクリのブログ。たまに自意識過剰。

みんな山月記を知ってたわけ

2020-09-05 | 読書
大学時代文学系学部に所属して東洋史を専攻して
いたのですが、学科で「国語の教科書に載っていた
好きな小説」を聞かれることがあって、多くの学生が
中島敦の「山月記」を挙げていたことを思い出しました。

中国の歴史や文化に関心を持つ学生が多いので
(というかアジアの歴史や文化に無関心なのに東洋史
みたいな就活・就職に直結しない専攻わざわざ選んで
入学する学生なんか稀)中国唐代が舞台の「山月記」も
人気だというわけです。教科書には載ってませんでしたが
同じ中島敦の「李陵」も私は後で読みましたね。
匈奴とか専攻ほぼド真ん中だったし(笑)。

で、ふと疑問に思いました。
「何でみんな山月記知ってんの?」と。
教科書は複数の会社が出版していて、学生の出身高校も
(地域も公立私立も含めて)バラバラですから、
全員同じ会社の教科書で学習したわけではないはずです。
古文なら源氏物語とか主要作品は大体決まってるので
どの教科書でも同じ作品が載ってるのは分かるのですが、
現代文は他にも様々な名作があるはずにもかかわらず
なぜみんな山月記を授業で読んでるのか。

小中高校の学習内容は文部科学省が出してる
学習指導要領で定められていて、教科書は学習指導
要領に沿って作られるので、「例えば数学で三角関数を
教えろと指示されてるみたいに、もしかしたら山月記を
取り上げるよう学習指導要領に書いてるのかな?」と
思って調べたところ、特に明記されてませんでした。

各社の国語の教科書でどのような作品が載ってるか
新潮社のサイトに掲載されてたので見てみました。
(新潮文庫収録作品が対象なので、小説や詩歌が
中心で論説文はあまり掲載されていないようです)
そこで「高校国語教科書採用作品一覧」を開くと、
教育出版、桐原書店、三省堂、数研出版、第一学習社、
大修館書店、筑摩書房、東京書籍、明治書院…
現代文Bの教科書は何と全社で山月記を収録!

ちなみに中学でも各社共通で収録されてる作品があり、
この一覧に掲載された5社全ての2年生の教科書で
太宰治「走れメロス」や石川啄木の短歌が見られます。
教育出版の教科書では中3でも山月記読むんですね。

各社横並びなのか、意外に現代文も古文と同じで
日本人に必須の教養として読むべき主要作品は
限られてて結果的に各社同じ小説を収録してるのか、
それとも近現代の名作は数あれど教科書向きの
作品が少なくて同じチョイスになってるのか。
「長編で教科書に載せきれないけど一部だけ読んでも
意味不明な作品」とか「あまりに精神病みすぎてたり
R18描写があったりして学校で読ませづらい作品」
とか「特定の政治的主張が強すぎる作品」とかは
いくら名作と評されてても掲載できないでしょうし、
そうするとどこの会社の教科書も似たような作品が
多くなっちゃうのかもしれません。
山月記は近代小説の名作の中でも短編ですし
内容的にも学校で読ませにくいものではないですし
戦中期の作品という意味でも貴重なので
各社に選ばれやすいんでしょうね。

調べてませんが、ひょっとしたら音楽の授業で
鑑賞するクラシック音楽も各社共通の作品が
あったりするかもしれません。
みんなシューベルトの「魔王」知ってるし。
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人のたてたる石は、生得の山水にはまさるべからず

2019-07-09 | 読書
先日図書館に行って「作庭記」の本をチラ読みしてきました。
「作庭記」は平安時代に記されたという日本最古の庭園書です。
その中で一番印象に残ったのはこの一節です。
或人のいはく、人のたてたる石は、生得の山水にはまさるべからず。
但おほくの国々をみ侍しに、所ひとつにあはれおもしろきものかなと、
おぼゆる事あれど、やがてそのほとりに、さうたいもなき事そのかずあり。
人のたつるには、かのおもしろき所々ばかりを、ここかしこにまなびたてて、
かたはらにそのこととなき石、とりおく事はなきなり。
「人のたてたる石は、生得の山水にはまさるべからず」、
人が石を立てて並べて庭を作っても、元々の自然には勝てないということですね。
日本が古来より自然を人為より上位に置き尊んだことが分かります。

全国を旅行してきて、「人の作った庭は自然には勝てない」と
いうのは本当に実感します。単に山や小川や池沼を見るというので
あれば、作り物よりも本物の自然の山や小川や池沼の方が美しいです。
作庭者が本物の自然とは別の美的価値を(意識的にであれ無意識的にで
あれ)付けているからこそ、私はその庭園を鑑賞しに行くのです。

「作庭記」では全国の風景の「おもしろき所々ばかり」を学んで
石を立てる、つまりいいとこ取りをして庭を作れということを
言っているようです。「縮景」の手法の話でしょうか。
全国の風景というのは必ずしも「石の風景」とは限らないと
思いますが、ここでは石を立てるとだけ言っています。
つまり、趣のある風景の一部分をそっくりそのまま真似して
写実的に庭園に持ってくるという意味ではなく、石でそれを表現
するという意味でしょうか(滝や小川を作る際に石を組んだり
並べたりする造園も含めての「石を立てる」かもしれませんが)。

石により何かを表現するのが本格化するのは室町期でしょうね
(「作庭記」の教えがどの程度伝わっていたかは知りませんが)。
私は室町期の庭園が好きなのですが、おそらく室町期の名庭は
「本物の自然とは別の美的価値」が高いんだろうなあと。
勿論自然と無関係の庭ではないけれど、そのままの模倣ではない。
その次の時代になると茶庭が入ってきて、露地庭園は茶室を
「市中の山居」とするために山に似せようとしたところも
あるでしょうから、自然のシンプルな模倣から最も遠い
日本庭園は現代庭園を除けば室町期の庭園なんじゃないかと。
そしてそこが私の好みなんじゃないかと。

逆に自然に似せた庭園が好きな方もいるんでしょうね。
庭園が自然に勝てるとまでは思わなくても
「自然は最も美しい、だから少しでも自然に近づけるために
自然に倣うべし」みたいな。どっち派が多いんだろ。
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たまには勉強

2012-08-26 | 読書
日本庭園好きで旅行先でも庭めぐりをよくしていますが、
まともに日本庭園について勉強したことがなく「ああ綺麗ねー」
で終わらせていたので、ちょっとは勉強しなきゃならんと
図書館で『日本庭園の心得』という本を借りてきました。

まずは庭園の歴史。庭園そのものも時代によって違うのですが、
(庭園を屋内から見た場合ですが)戸も時代によって違って、
切り取られる景色が違うとのことです。
やっぱり新しい庭より中世~江戸初期くらいまでの庭が
好きだなあ…。桂離宮がピークというか。ただの好みですが。

「池泉」「滝」「流れ」「島」「橋」「石畳・延段」「飛石」
「階段」「石積・土留」「石組」「白砂」「植栽」「地被(苔や芝)」
「築山」「塀・垣」「門・戸」「建物」「手水鉢」「灯籠」と
いった要素別の解説も。同じ池や滝でもいろいろな作り方が
あるわけです。石畳や階段も格式が高いのからカジュアルな
ものまであったり(単体で見ると中間あたりがおしゃれ)。
飛石は日本独自のものらしいです。歩きやすさも大事だけど、
見せたい景色に誘導するという役目もあるとか。
手水鉢は本来手を洗うためのものですが、実用のためでなく
水面に月を映して楽しむなんて使い方もあるらしい。

庭園の造り方まで載っていました。
こういう滝や流れを作るにはこんなふうに石を置く、とか。
流れの激しい早瀬を作る場合は石を寝かせなかったり。
石組も形や向きにルールがあるみたいです。
先が欠けたり尖ったりした石や不安定な形の石はNGだとか
(そういえば龍吟庵庭園の龍の角みたいな石って他ではあまり
見ないような…相当のプロじゃないと使いこなせないとか?)。
木もどこに植えるとバランスがいいといったルールが。
…まあ、金持ちじゃないから自分の庭を作ることはないけど。

これからはただ見るだけでなくもうちょっと要素なども
気にしながら庭園を鑑賞したいですね~。
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舒明帝温泉好きねえ

2008-10-12 | 読書
有馬温泉に行ったり道後温泉に行ったり…。

PC故障中に『日本書紀』を読んでました。
『古事記』と『風土記』は一応読んだことがあるので
今度は『日本書紀』でもと思って。
そういえば『風土記』に出てきた速津媛、こちらにも出てきましたねえ。
景行天皇のところでは神夏磯媛って女首長とか。土蜘蛛もいた。

『古事記』と比べて朝鮮史の記述が多いなーという感想
(『古事記』にはない舒明天皇以降の歴史も書かれていると
いうのもありますが、『古事記』と重なる時代の部分も
そのように感じます)。まあ当時はいろんな意味で
朝鮮半島との交流が盛んでしたけど。

文学として読むと『古事記』の方が面白いです。特に神代。
『日本書紀』は「また一書ではこう言っている」と諸説を
並べまくってるので読みにくい…そういや因幡の白兎の
話とか書いてなかったですね。ちなみに聖徳太子の
有名なエピソードは『日本書紀』から結構来てます。

皇子が謀反の疑いで殺されるというのが結構ありまして、
ライバルを消すために無実の罪で討つこともきっと
あったんだろうなーなんて思いながら読んでましたが、
あいにく当方世界史選択でしてその辺疎い(爆)。
『日本書紀』ではそんな裏事情書けやしませんが、
日本史の本を読んで知りたいところです。

ところで日本武尊は身丈一丈ってのによく女装して
バレなかったな…(当時の中国での度量衡換算で
一丈>2mなのでオーバー表現だけれども)。
まあ16歳なのでまだ身長がそこまで伸びきって
なかったのかもしれん…って別に『日本書紀』
(特に古い時代)を100%史実と信じちゃいませんが。
ちなみに16歳くらいの年頃が一番女装に適してます(爆)。
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ふどき

2007-03-31 | 読書
突然平仮名で書くと意味不明ですが、『風土記』です。
特に強い動機があったわけではなく何となく借りてみただけ。

「常陸国風土記」に少女漫画さながらの話が。
垂髪の美少年と美少女がいて、互いに相手の評判を聞いて
逢いたい気持ちが抑えられなくなり、偶然出逢って歌を交わすと。
で、誰もいない場所で2人きりになってイチャつく(死語?)のですが、
その描写がまたえらくロマンチックでビックリですよ。
このサイトの「童子女の松原」を読んでいただければ分かりますが、
美しい風景とともにイチャイチャ具合も描写って感じで。
結局2人は「朝帰りバレたらイヤーっ!」と松の樹に変身しちゃいました。
茨城県神栖市の公園に2人の像が立っているらしいですが、
古代の日本人ってこんなロマンチックだったのか…。

「風土記逸文」として、滋賀県余呉町の羽衣天女伝説も載ってます。
近江国伊香郡与胡郷の南の「伊香の小江」ってのが余呉湖だそうで。
丹後国と駿河国(三保の松原)の天女伝説も載っていますが、
これらの話は風土記の昔から伝わっていた可能性があるのでしょうか。
ちなみに余呉の話が確認できるのは、鎌倉時代の書物『帝王編年記』の
養老七年(奈良時代)条らしい。古いんだかそうでもないんだか。

時々地名の由来として、「○○天皇の行幸の時に~があったので、
××と呼ぶ」といったような記述があります。
「帝自らそんな遠くまで行くかよ!」と猛ツッコミですが、
真偽のほどよりもむしろそのような伝説が作られた「理由」を
考えるのが面白いのかも。つーか「通行人の半分を殺しちゃう
通せんぼ神様(ギリシャ神話のスフィンクスかよ)」の話が
各地に伝わってるくらいなので当時の旅は相当危険でしょう。

あと九州って女性が強かったんですか?
土蜘蛛の五馬媛(豊後国)とか海松橿媛(肥前国)って女性名に見えますし、
豊後国には速津媛って女村長さんもいるし。
肥前国土蜘蛛の大山田女・狭山田女は一種の巫女ですかね?
それはともかく九州男児どーしたのさ!


今週は飲み会に残業で家のパソコン触る暇なかった…。
10時間寝た後に4時間昼寝したらボーっとしてるよ…。
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