昔々、この辺りに忠五郎というむしろを編む職人が住んでおったそうな。
ある日の事、忠五郎は編んだむしろを届けに土浦へ出向いた帰り道の事。
高見が原という荒地を通りかかったおりに、猟師の矢に狙われて危うく射獲られそうになっている
白狐を見かけ、ふびんに思って咳払いをしたのだそうじゃ。
そのおかげで危険を悟ったキツネは難を逃れ逃げ去った。
怒ったのは猟師じゃったが、忠五郎はむしろの代金をすべて差し出して猟師をなだめたのじゃそうじゃ。
忠五郎が家に帰りつくと、納屋の軒下に老人と若い娘が佇んでおったそうじゃ。わけを訪ねると、
道に迷い、一夜の夜露を凌ぐ場所を求めているが、用心深い忠五郎の母親が息子の帰りを待つよう
言ったらしい。忠五郎が二人を中で夜を過ごすよう計らうと、二人は深く感謝したそうじゃ。
翌朝、目を覚ますと、老人の姿は消えていて娘だけが残っていた。娘はとても気が利いて良く
働き、やがて村人から二人を結婚させたらどうかと勧められ、二人は夫婦となった。
やがて夫婦は一姫二太郎の3人の子供を授かったのだそうじゃが、ある日、下の子をあやしながら
うっかり寝入って尻尾を出してしまった母親の姿を子供に見られ、キツネである事が分かって
しまったそうじゃ。正体を知られてしまった以上、ここでは暮らせぬと母親は3人の子供を残し
山へ去っていった。
忠五郎は大変悲しんだが、やがてこの地を女化(おなばけ)の地と呼び、稲荷を建てて白狐の
報恩を後の世に語り継いだ。それが、この女化神社の由来であり、今の世に続いている。
というのが、女化町の所以であり、町名になっています。私が勤務する直売所がある地区に
伝わる伝説でした。
どんど焼きが全国で行われていますね。女化神社のお札を返納しました。
この伝説を取り入れて生み出したご当地新名物があります。
それがコレ。 女化巻と言います。
ある日の事、忠五郎は編んだむしろを届けに土浦へ出向いた帰り道の事。
高見が原という荒地を通りかかったおりに、猟師の矢に狙われて危うく射獲られそうになっている
白狐を見かけ、ふびんに思って咳払いをしたのだそうじゃ。
そのおかげで危険を悟ったキツネは難を逃れ逃げ去った。
怒ったのは猟師じゃったが、忠五郎はむしろの代金をすべて差し出して猟師をなだめたのじゃそうじゃ。
忠五郎が家に帰りつくと、納屋の軒下に老人と若い娘が佇んでおったそうじゃ。わけを訪ねると、
道に迷い、一夜の夜露を凌ぐ場所を求めているが、用心深い忠五郎の母親が息子の帰りを待つよう
言ったらしい。忠五郎が二人を中で夜を過ごすよう計らうと、二人は深く感謝したそうじゃ。
翌朝、目を覚ますと、老人の姿は消えていて娘だけが残っていた。娘はとても気が利いて良く
働き、やがて村人から二人を結婚させたらどうかと勧められ、二人は夫婦となった。
やがて夫婦は一姫二太郎の3人の子供を授かったのだそうじゃが、ある日、下の子をあやしながら
うっかり寝入って尻尾を出してしまった母親の姿を子供に見られ、キツネである事が分かって
しまったそうじゃ。正体を知られてしまった以上、ここでは暮らせぬと母親は3人の子供を残し
山へ去っていった。
忠五郎は大変悲しんだが、やがてこの地を女化(おなばけ)の地と呼び、稲荷を建てて白狐の
報恩を後の世に語り継いだ。それが、この女化神社の由来であり、今の世に続いている。
というのが、女化町の所以であり、町名になっています。私が勤務する直売所がある地区に
伝わる伝説でした。
どんど焼きが全国で行われていますね。女化神社のお札を返納しました。
この伝説を取り入れて生み出したご当地新名物があります。
それがコレ。 女化巻と言います。