この道は昔小学校、中学校、高校へ通った道。人里から1キロ近く離れ一山を隔てた誰も住まない場所。父が何故にこの辺境の更に辺境を研究所として選び家族を引き連れて移住したか不思議である。最も、最初は里に借家をして通っていたようだが。
兄夫婦。兄が若い頃、村への働きかけでこのように舗装を実現させたそうだが、自分がいた頃は赤土の裸道路で雨の後などは恐ろしいほど滑る恐怖の山道だった。その上に夏場はマムシの散歩道ときた。棒を持って歩くのが当たり前だし、暗くなったらなるべく歩かないのが習慣となっていた。
かつての農園の入り口が見えてきた。当時は数メートルだったアメリカンヤシの木が十メートル以上の巨木になって何本も並んでいる。
かつて住んだ家は震災のせいかは定かではないが完全に倒壊していた。
メタセコイヤ。これは樹齢70年近い。巨木になっているが蔓に絡まれて少し弱っているようだ。素手で剥がせるだけは取っておいた。
これはかつて畑の一部だったところ。夕暮れで暗かったため写真がぶれてしまってみ難いが、すでに大きな自然樹に覆われてみる影もない。
かつての家の前に残っている金明竹の束。竹はタフだ。見る人が見れば珍しい植物があちこちに残っている。
余裕があればもう少し綺麗にしておきたいところだが、距離もあるし、福島の農園を優先するとなると手を入れるのは難しいかもしれない。とりあえずは兄の遊休地として自然林に戻るに任せることになりそうだ。
Yahooは伊豆の弓ヶ浜です。
兄夫婦。兄が若い頃、村への働きかけでこのように舗装を実現させたそうだが、自分がいた頃は赤土の裸道路で雨の後などは恐ろしいほど滑る恐怖の山道だった。その上に夏場はマムシの散歩道ときた。棒を持って歩くのが当たり前だし、暗くなったらなるべく歩かないのが習慣となっていた。
かつての農園の入り口が見えてきた。当時は数メートルだったアメリカンヤシの木が十メートル以上の巨木になって何本も並んでいる。
かつて住んだ家は震災のせいかは定かではないが完全に倒壊していた。
メタセコイヤ。これは樹齢70年近い。巨木になっているが蔓に絡まれて少し弱っているようだ。素手で剥がせるだけは取っておいた。
これはかつて畑の一部だったところ。夕暮れで暗かったため写真がぶれてしまってみ難いが、すでに大きな自然樹に覆われてみる影もない。
かつての家の前に残っている金明竹の束。竹はタフだ。見る人が見れば珍しい植物があちこちに残っている。
余裕があればもう少し綺麗にしておきたいところだが、距離もあるし、福島の農園を優先するとなると手を入れるのは難しいかもしれない。とりあえずは兄の遊休地として自然林に戻るに任せることになりそうだ。
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良く似ているかも^^
懐かしい道を歩いてこられたのですね。
私も先日、実家の近くの良く通った道を歩きましたが、
家が、昔とは違って新しくなっているところが多く、たまに変わらない家をみかけるとちょっと、懐かしさがこみ上げてきました。
なくなると本当にどんどん傷みます。微生物も
心得ているようで、人が居なくなると出番を知
るようです。^^ でも、3年はちと早いかな?
ここにかつて農園があり、珍しい植物がたくさ
んありました。うっかり雑草と思って抜けない
状態でした。今は良く見れば不思議な生態系に
なっているのかもしれません。とりあえず、娘
たちは自然になっていたキーウィーを収穫して
きたようですが。^^
に満身創痍ですが、兄の方が骨一本折っていま
せん。生活での骨折りは相当なものですが。^^
時が経つと景色はガラリと変わるものですね。
特に人がいるところは早いです。