石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

136 目黒不動尊の石造物③仁王門前

2018-07-15 08:32:48 | 寺院

朱塗りの仁王門は、鉄筋コンクリート製。

戦災で堂宇尽く焼失し、昭和37年(1962)再建された。

 

仁王は、金網が邪魔してちゃんと見られない。

能彫で有名な後藤良の制作を手掛けたが、彼は製作途中で死去、弟子たちが完成させた。

 

境内へ入ってすぐ左にポツンと灯籠がある。

仁王門落慶記念の灯籠です。

伝統ある寺社は、決められた所式にのっとって事が進められていることが、この灯籠を見ると分かる。

日進講なる信者集団が仁王門建設のスポンサーとなり、完成の暁には、記念碑を建てる。

の江戸期からずーっと行われてきた伝統習慣が、昭和になっても当然のように、継続されているのです。

仁王門前の狛犬一対も、信徒の寄進によるもの。

大場庄之助、大場健司によって、平成11年12月吉日建立されました。

実は、私は、明治大学リバティアカデミーの会員で、平成30年度前期の受講講座は「狛犬」。

5月のフイールドワークで、目黒不動を歩き回ってきたばかりです。

講師は、日本参道狛犬研究会理事の山田敏春氏。

以下、目黒不動尊の狛犬に関わる記述は、すべて、山田氏の講義の受け売りです。

このデフォルメされ、マンガチックな狛犬は、狛犬界では、「大宝モデル」と呼ばれているのだそうです。

「大宝モデル」の大宝は、滋賀県栗東町の大宝神社のこと。

その大宝神社の木彫狛犬を原型モデルとする石彫狛犬が、初めて登場したのは、大正元年(1912)。

石工酒井八右衛門によって製作され、東京の根津神社に奉納されます。

これが愛知県岡崎に伝わり、岡崎古代型として全国に普及していきました。

 

仁王門に向かって左にも石造物があるが、ほとんどの人は気づかずに通り過ぎているようだ。

2m半位の高さの石柱の上に石像不動明王。

そして、その前に眷属のせいたか童子とこんがら童子。

少し高い位置にあるので、通常の目線では見逃してしまう。

なんの説明もないので、設立趣意などは不明。

台石の石柱も、なにかいわれのある古い石造物の再利用と思われるが、分からない。

≪続く≫

 

 

 

 

 

 


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