石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

136 目黒不動尊の石造物②

2018-07-08 08:33:46 | 寺院

前回は、仁王門前の、目黒区教委作成の目黒不動・瀧泉寺の沿革説明板を紹介、家光との関わりを「鷹居の松」に見た。

目黒不動尊・瀧泉寺の石造物紹介が目的なのに、今回も本題とは外れた「五色不動」について触れることにします。

瀧泉寺(目黒不動尊)…『天台宗泰叡山龍泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けました。また、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わいました。(目黒区教育委員会)

この文章を読む限り、五色不動は、江戸時代からあったように思われます。

しかし、江戸時代には、目黒・目白・目赤の三不動だけで、目黄・目青を含めて、五色不動となったのは、明治末期のことでした。

目青不動(経学院/世田谷区太子堂)

目黄不動(永久寺/台東区三ノ輪)

 

「五色には二タ色足らぬ不動の目」(『誹風柳多留』文化5年/1808)という江戸川柳があることでも、それは分かる。

しかも、目黒・目白・目赤の江戸三不動には、他の不動には見られない共通点がありました。

目白不動(金乗院/豊島区高田)

それは、不動堂を管理する別当寺を有していたこと。

目黒不動の場合、別当寺は瀧泉寺だったことは言うまでもありません。

明治維新時の神仏分離令で別当寺制度は廃され、不動堂は瀧泉寺の堂塔の一つとなったというわけ。

もう一つ付け加えるならば、三不動はいずれも家光と深い関係を持ち、目白・目赤不動は、その名を家光から賜ったと伝えられています。

 目赤不動(南谷寺/文京区本駒込)

更に「目からうろこ」の話をすれば、五色不動は目の色が違う5体のお不動さんではないということ。

普通は、五行思想の五色にまつわる不動尊と思われているが、目黒不動は、「目の黒い」お不動さんではありません。

目黒という地名が、不動尊が請来される前からあったので、「目黒村のお不動さん」の意。

 本尊前のお前立お不動さん(瀧泉寺/目黒区下目黒)

他の、「目白」は、「目の白い」、「目赤」は、「目の赤い」お不動さんで、五色不動の中で「目黒」だけが仲間外れ

ということになります。

予定では、「富くじ」についても言及するつもりでしたが、前説が長すぎるのでカット。

次回から、本題の「目黒不動の石造物」に入ります。

≪続く≫

参考資料

◇田丸太郎「五色不動はいつできたか」(『郷土目黒』no54/平成22年)

 

 

 


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4 コメント

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Unknown (庚申)
2018-07-11 11:13:47
こんにちは。とても興味深いブログですね。
私も庚申塔や石仏が好きです。
小学生の頃遊んでいた公園にお地蔵さんがあって、大学生になった頃に調べ直したらそれが庚申塔であることを知りました。
お気に入り登録して、ちょくちょく拝読させて頂きます!
暑い日が続いていますね。お体ご自愛ください。
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Unknown (fkaji)
2018-07-17 22:25:53
ということは、南谷寺/文京区本駒込は、目赤という地名があったということでしょうか? 目黄、目青も同じ地名ですか。目黄は何と読むのでしょうか?
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目黒以外は目の色 (松中)
2018-07-18 05:57:10
目黒不動は、目黒村のお不動さんですが、他の4色不動は、目の色です。私の文章が不明瞭だったからでしょう。
手直ししておきます。
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五つの不動さま  (もののはじめのiina)
2020-03-27 09:40:15
「目黒」といえば落語の「目黒のさんま」くらいしか知らなかったのに、目白など「五色不動」さまがあったのですね。

目黒を除いた四不動が目の色で識別していたというのも、面白いです。

世にネアカとは申しますが、文字通りの目赤不動さまがいたとは・・・。


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