このブログを時々読んでくれる数少ない友人の読後感想は、いつもきまっています。
「長くて読み通すのが大変だったよ」。
これでも、4,5年前に比べれば、短くなっているのですが。
以前は約2万4000字くらいが1回分でしたが、今はその3分の1、8000字位、長くても1万字以内に抑えるようにしています。
それでも長く感ずるのは、スマホや携帯で読むから。
パソコンよりスマで読む人の方が多いというデータもある。
それでなくて少ない読者を更に減らしたくはないので、今回からは、1回2000字位にします。
今回は、シリーズ「東京の寺町」9回目。
台東区西浅草、松が谷界隈の寺町。
写真を見ると分かりますが、実は4年前の夏取材したもの。
ブログに纏めはしたが、なぜかUPしなかったものを引きずり出しての利用です。
1回分2万4000字を10回に分けての掲載です。
地図の中央を横切る浅草通りの上が西浅草、松が谷区域。
東上野、元浅草を加えての寺町は、寺院の数とその密集度は都内屈指と云えるでしょう。
この界隈が新寺町と呼ばれるのは、明暦の大火(1657)の後、湯島や神田の寺院が移転してきたからでした。
浅草通りの南側には仏具店が軒を並べ、寺町として独特の雰囲気を醸し出しています。
寺の数も多く、1回ではとても消化しきれません。
何回かに分けることになる1回目は、西浅草1から西浅草3の寺を巡ります。
地図で右に縦に伸びるのが、国際通り、左が、かっぱ橋道具街通り、下を横切る浅草通りに囲まれて、西浅草はあります。
西浅草寺町の特徴は、寺院の大半が、本山東本願寺の塔頭、子院であること。
浄土真宗寺院には、石碑、石仏は期待できません。
有名人の墓めぐりがメインになりそうですが、ちょっと心配なのは、寺院のビル化とともに墓地が本堂の背後の目につかない場所に配置されて、探墓しにくくなっていること。
上の地図をちょっと上にずらしてください。
地下鉄田原町駅を出て、国際通りを北へ。
二つ目のブロック奥に清光寺があります。
1浄土宗・清光寺(西浅草1-8-19)
清光寺は浄土宗ですから、東本願寺の塔頭ではありません。
本堂前に、長谷川一夫の顕彰碑。
ファンが建てたものだというが、墓は谷中霊園にある。
なぜ、顕彰碑が清光寺にあるのか。
寺の説明では、檀家だったからというのだが、理解しにくい。
その隣の円柱型石塔は、歌舞伎文字勘定流の岡崎勘六の墓。
正面に「先祖代々」、右に「諦岸了覚信士」。
後ろがすぐ塀なので、カメラが入る余地がなく、撮影できないのですが、「有がたや心の雲の晴れわたり只一筋に向ふ極楽 南無阿弥陀仏」と刻されていると資料にはあります。
台石の「堺町 岡崎屋 勘六」に芝居文字の感じがあります。
ビジュアル化の徹底で文字の伝達機能が損なわれ、読めない芝居文字ですが、読めないものを読むのが好事家だそうで、何をかいわんや。
と、ここでもう2500字。
次回更新は、2月8日の予定。
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