石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

板橋宿を歩く-3

2011-04-13 19:52:49 | 板橋宿を歩く

平尾追分

 旧中山道と新中山道(国道17号)が交差する地点が、かつての平尾宿。ビルとビルの間の右の道が旧中山道。左の高速道路とビルの間の道が川越街道。ここが分岐点の追分です。

 

下の絵は上の写真を撮った場所から中宿方向を見た昔の想像図。板橋区立郷土資料館が開いた企画展「平尾宿―脇本陣豊田家」の展示資料集の表紙として描かれました。左が川越街道です。

松を背に座しているのが、平尾追分地蔵。道中安全を祈願して享保4年(1719)、板橋宿や加賀下屋敷の関係者200人の寄進により建立されました。座高3メートル。区内最大の石仏です。

このお地蔵さんは、今、「東光寺」に安置されています。小路を入って「東光寺」に寄ってみましょう。

 

丹舟山東光寺

東光寺は、昔はもっと奥の方の船山という場所にありました。その場所が前田家下屋敷に当てられたため、この地に移ってきました。山号の「丹舟山」に寺の歴史が込められています。

寺は戦災に遭いましたが、石造文化財は原形のまま残っています。

 

                                       丹舟山東光寺

 

宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いの大阪側の総大将。秀吉の側近で朝鮮の役の総大将でもありました。徳川の世となり、幕府に捕えられ、八丈島に流罪、彼の地で亡くなります。

明治3年、子孫71人が内地帰還を許されます。彼らは、遠い親戚の前田家を頼ってここ下屋敷に住み込みました。東光寺より東側には、浮田、八丈などの地名が今も残っています。

 

                       宇喜田秀家の墓

 

 

平尾追分に座していたゆったりと福々しい顔のお地蔵さん。区内最大の丸彫り地蔵です。

 

                          平尾追分地蔵 

 

 

 

 

 

青面金剛を中心に二童子、四夜叉、一猿一鶏が描かれる優れた作品で、当時の宿場の繁栄と豊かな財力が感じ取れます。観明寺の庚申塔に次いで都内2番目の古さ。

                 寛文2年の庚申塔


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