石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

111 シリーズ東京の寺町(7)足立区伊興ーその5

2015-09-26 08:26:30 | 寺町

このブログ「石仏散歩」の字数は、約1万8000字ー2万4000字。月2回、更新して、5年目を迎えようとしています。最近、「石仏散歩」の閲覧者は、PCよりもスマホでの方が多いことを初めて知りました。更に、1回当たりの字数は、3000-3500字くらいが読みやすいということも分かりました。写真のサイズも少し小さめにした方がよいことも。
と、いうことで今回から、一つのテーマを小分けにして、ひとかたまりを約3500字見当にまとめることにします。2-3日おきに更新、5-7回でワンテーマ完結ということになります。では、新スタイルでの「伊興寺町の石造物」その5
回目です。

 15 浄光寺 16 蓮念寺 17 本行寺 18長安寺 19 善久寺 20 常福寺

 21 易行院 22 東陽寺 23 正安寺 24 栄寿院 25 法受寺 27 専念寺

 

☐浄土宗・普賢山新幡随院法受寺(東伊興4-14-8)

草加方面から伊興寺町に入って最初の寺。

院号と寺号は別々の寺で昭和10年合併した。

新幡随院安養寺は浅草に、法住寺は下谷三崎町にあった。

山門脇の掲示板には、「御詠歌とお経の練習会」や「写経会」の行事予定がびっしり並んでいる。

山門を入ると目につくのは、大きな布袋様。

足下に小さな七福神が在す。

法受寺は、伊興七福神の一つで布袋様を祀っている。

ちなみに他の六神は、恵比寿(源正寺)、寿老人、福禄寿(福寿院)、大黒天、弁財天、毘沙門天(実相寺)。

布袋様の対面には「怪談牡丹灯籠」の碑。

三遊亭円朝演述、橘右近書の縁起全文は、長いが書き写しておく。

「ふと見れば、先きへ立ったのは年ごろ三十ぐらいの大丸髷の人
 柄のよい年増にて、そのころはやった縮緬細工の牡丹芍薬など
 の花のついた燈籠をさげ、そのあとから十七・八とも思われる
 娘が、髪は文金の高髷に結い、着物は秋草色染の振袖に、緋縮
 緬の長襦袢に繻子の帯をしどけなく締め、上方風の塗柄のうち
 わを持って・・・

 白翁堂の話に萩原も少し気味が悪くなったゆえ顔色を変え、
 新三郎「先生、そんならこれから三崎へ行って調べましょう」
 と家を立ち出て゛、三崎へまいりて、女暮らしでこういう者はな
 いかとだんだん尋ねましたが、いっこうに知れませんから、訪
 ねあぐんで帰りに、新幡随院を通り抜けようとすると、お堂の
 うしろに新墓がありまして、それに大きな角塔婆があって、そ
 の前に牡丹の花の燈籠が雨ざらしになってありまして
 この燈籠は毎晩お米がつけてきた燈籠に違いないから、新三郎は
 いよいよおかしくなり、お寺の台所へ回り、
 新「少々伺いとう存じます。あそこのお堂のうしろに新しい
 牡丹の花の燈籠を手向けてあるのは、あれはどちらの
 墓でありますか」
 僧「あれは牛込の旗本飯嶋平左衛門の娘で先だって亡くなり
 まして、ぜんたい法住寺に葬るはずのところ、当院は末
 寺じゃからこちらへ葬ったので」
 新「あのそばに並べてある墓は」
 僧「あれはその娘のお付きの女中でこれも引き続き看病疲れで
 死去いたしたから、いっしょに葬られたので」
 新「そうですか、それではまったく幽霊で・・・」

 八つの鐘が忍が岡に響いて聞こえますとひときわ世間がしんと
 いたし、水の流れも止まり、草木も眠るという位で、壁に
 すだく蟋蟀の声もかすかに哀れを催しものすごく、清水のもと
 からいつものとおりこまげた音高くカランコロンカランコロン
 と・・・」

「これ新幡随院濡れ佛の縁起で、この物語も少しは勧善懲悪の道
 かくながながとお聞きに入れました」
 明治十七年 東京裨史出版社 三遊亭圓朝演述 若林坩蔵筆記
                 藤木松調書       

墓地の一画に五輪塔が並ぶ墓域があって、その中央の石塔は五代将軍綱吉の生母桂昌院の墓。

「桂昌院殿従一位仁誉興国恵光大姉」。

墓域は、京都二条家の家臣本荘家のもので、彼女の両親や弟の墓が並んでいる。

☐曹洞宗・延命山栄寿院(


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