朱塗りの仁王門は、鉄筋コンクリート製。
戦災で堂宇尽く焼失し、昭和37年(1962)再建された。
仁王は、金網が邪魔してちゃんと見られない。
能彫で有名な後藤良の制作を手掛けたが、彼は製作途中で死去、弟子たちが完成させた。
境内へ入ってすぐ左にポツンと灯籠がある。
仁王門落慶記念の灯籠です。
伝統ある寺社は、決められた所式にのっとって事が進められていることが、この灯籠を見ると分かる。
日進講なる信者集団が仁王門建設のスポンサーとなり、完成の暁には、記念碑を建てる。
の江戸期からずーっと行われてきた伝統習慣が、昭和になっても当然のように、継続されているのです。
仁王門前の狛犬一対も、信徒の寄進によるもの。
大場庄之助、大場健司によって、平成11年12月吉日建立されました。
実は、私は、明治大学リバティアカデミーの会員で、平成30年度前期の受講講座は「狛犬」。
5月のフイールドワークで、目黒不動を歩き回ってきたばかりです。
講師は、日本参道狛犬研究会理事の山田敏春氏。
以下、目黒不動尊の狛犬に関わる記述は、すべて、山田氏の講義の受け売りです。
このデフォルメされ、マンガチックな狛犬は、狛犬界では、「大宝モデル」と呼ばれているのだそうです。
「大宝モデル」の大宝は、滋賀県栗東町の大宝神社のこと。
その大宝神社の木彫狛犬を原型モデルとする石彫狛犬が、初めて登場したのは、大正元年(1912)。
石工酒井八右衛門によって製作され、東京の根津神社に奉納されます。
これが愛知県岡崎に伝わり、岡崎古代型として全国に普及していきました。
仁王門に向かって左にも石造物があるが、ほとんどの人は気づかずに通り過ぎているようだ。
2m半位の高さの石柱の上に石像不動明王。
そして、その前に眷属のせいたか童子とこんがら童子。
少し高い位置にあるので、通常の目線では見逃してしまう。
なんの説明もないので、設立趣意などは不明。
台石の石柱も、なにかいわれのある古い石造物の再利用と思われるが、分からない。
≪続く≫