仁王門から正面を臨む。
男坂の急な石段の上に本堂の屋根がちらりと見える。
歩き出すと右にながーい水船。
長さ3m37cm、高さ54cm、幅65cm。
中央に「奉 寄進 水船」。
右端に「奉叡山目黒/瀧泉寺」。
左端に「天和二壬戌歳/四月二十八日/亀岡氏政房」の刻銘がある。
境内に3基ある水船の1基。
寄進者名の亀岡氏は、目黒不動の大型石造物に散見される。
後ほど、男坂上の、都内最古の狛犬の紹介で詳述するが、亀岡家は、江戸城石垣工事などで、石工職人を束ねる要職にあったとみられています。
男坂に進む。
参道の両側に3基ずつ、3対の石灯籠が並んでいるが、刻銘がなく、寄進者、造立年ともに不明。
新しいので、昭和以降のものか。
男坂に最も近い、背の高い灯籠には、鮮明な刻銘。
裏面に「文政十二年巳丑歳九月吉日/岡田屋彌兵衛再建」
台石に「大阪西横堀炭屋町/石工見かげや新三郎」とある。
この灯籠の、仁王門寄りに、向かい合って一対の狛犬がおわす。
たれ目、たれ耳の、柔らかいフォルムの犬で、獅子像が多い狛犬界ではこの異色な存在。
狛犬の本来の仕事、「守護」役が務まるとはとても思えない柔和さ。
台座には、「文久二壬戌年正月/奉献 御手洗信七郎 藤原正邦」と刻まれています。
しかし、山田敏春氏(日本参道狛犬研理事)は、本来、この台座に座していたのは、この犬ではなかったと言います。
震災か戦災、どちらかの被災で破損した狛犬に代えて、現在の、無傷な狛犬が据えられた、と山田氏は推測します。
下の写真は、明治26年の男坂下風景。
国立国会図書館所蔵写真帳から拝借
小さくて分かりにくいが、狛犬の像型が現在像と違うようにも見える。
被災して転げ落ちた狛犬は、現在、前不動におわす犬ではないか、と山田氏が言うように、確かにフォルムは似ているが、
それにしては、破損の跡が少ないようにも見えます。
≪参考資料≫
◇山田敏春「目黒不動尊狛犬案内」(明治大学リバテイアカデミー講座「狛犬」フイールドワーク用資料)