HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

ビュフェと藤田宜永と細美武士

2009年06月07日 | 細美武士/the HIATUS
ベルナール・ビュフェの展覧会が静岡であるらしい。
今日たまたま朝テレビをつけたら日曜美術館で彼の特集をやっていた。

ビュフェは1999年にこの世を去った。
だから結構最近のイメージ。

関西の人が知っているかどうかはわかんないけど
JRで京都方面から大阪へ行くとき、大阪駅に着く直前に通りすぎる
阪急グループの建物(駅とか入っている)の壁に
大きく彼の描いた蝶々の絵が見える。

私は実は彼がまだ生きている時から彼の絵に惹かれたひとりで
いつその絵と出会ったのか記憶にはないんだけど
その不思議な描き方にどこかで出会って
自分の中の好きな画家のひとりとして心に刻んでた。

だから当時、たぶんまだ私は大阪にいたと思うけど
そんな近くで彼が絵を描いてくれるってことが
すごくうれしかった記憶がある。


その頃は彼がどういう人とか
なんにも考えてなくて
単純に好きだと思っただけだった。


でも、今日の番組を聞いて
彼の孤独を知った。

彼の描く絵は孤独にあふれていたんだね。

気がつかなかった。


ってもしかしたら私も孤独だったのかな?


どこか寂しかったのかな?


私と同様にビュフェが好きだという
作家の藤田宜永さんがゲストだったんだけど

彼がいうには

孤独というのは

「孤立」と「単独」の両面があるって。


「孤立」は寂しいかもしれないけど
「単独」は自分からひとりでいるという意思があって
凛としたものがそこにみえるって。


なるほどって思った。


ビュフェにはその両面があり、

そのビュフェを好きだった私も
おそらく、そういう面があるんだと思う。


なぜなら私は子どものころ
いつも転校生で

どこか異端児っぽく見られたことがあって
でも、自分から自分を押さえてまで
輪の中に入ることはしたくなくて
それならひとりでいいやって感じだった。


でも、意思がはっきりしていると
知らない間に少数であっても
仲間ができてくるんだね。

不思議だ。


わかりあえる友達ができるんだ。



ビュフェはそれを伴侶として見つけたんだ。

とてもすてきな人。


結局最後は悲しい終わり方だったけど
ビュフェは幸せを最後に感じたのかな?


このビュフェについて語りながら
藤田氏はとても興味深いことを言った。

ビュフェは死から生を見ていた。
最初に死があって、そこから生を見つけようとしてきた。
彼がこの世を去る前の絵には死が描かれながらも
そこに生が見えた。

最近は元気が出る本や映画とか泣ける本や映画とか
あるけれども、肯定肯定ばかり見せてても
なにもならない。その裏にある孤独や苦しみを見ないと。
その暗闇を知ってこそ、そこから光を見つけられるんだから。
それが孤独と折り合って生きて行く道をみつける力となるんだから。

って(これは私の要約なので実際とはちょっと違いますが)
藤田さんが言っていて、ドキッとした。


実は昨日、the HIATUSのスペシャル番組で細美くんが
言っていたこととあまりにも似ていたから。


細美くんは手で小さな枠を作って
この枠からしか世界を見ないで、悪い事や悲しい事を見ずに80歳まで
生きて行く事もできるかもしれないけど、それはどうかなと思う。
そこを見てこそ、もしかしたらそういうものがいっぱいあるかもしれないけど
その中で光を小さな光を見つけて、そこに希望を見いだすことが
大事なんじゃないか

っていうようなこと(これも私の要約ですが)を言ってて

彼はそういう暗闇からほんの少し見つけ出した光を音楽で表現していきたい
というようなことを語ってた。


おもちゃではなく本物を。


それこそまやかしではなく真実を。


細美くんも
藤田さんも

違う分野の表現者であるけれども

同じことを語っていた気がする。


私は藤田さんの作品は読んだことがないので
今度読んでみようと思う。


きっと光は
暗闇にあるからこそ
その輝きがいっそう増すんだよね。


だから夜空の星があんなにきれいなんだ。
コメント
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