妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)・・19
二には縁覚身
「應以辟支佛身得度者。即現辟支佛身而爲説法」
「應以」等は菩薩の意業に機を見て、此の者は縁覚の身を以て説法せば度すべしと知るなり。
「即現辟支佛身」とは、身業の利益なり。
「而爲説法」は口業の利益なり。此の中に辟支佛とは華厳経音義に曰、辟支は梵語なり。具には畢勒支底迦(ひつろくしちきゃ)と云。此れは各々独行と云。佛とは覚也。𦾔に翻じて獨覺と為す。正く其の意を得たり。或は翻じて縁覚と為す。譯人謬って梵語を以て、鉢羅底迦(はらちきゃ)と云。此には翻じて縁覚と為す。故に智論の第十八の中に上の二類に通ず也。已上。縁覚と名くることは、一には十二因縁を観じて覚悟するが故に。 二には飛華落葉の縁に由て無師自悟するが故に。獨覺と名くることは無佛の世に出て師に依らずして自悟するが故なり。此れに二類あり。一には麟踰獨覚。又麟覚とも名く。無佛の世に出て、我即ち佛なりと思へり。喩ば麒麟の角の獨一なるが如し。故に尒名くるなり。二には部行獨覺。此れは初め声聞として佛の説法を聞ける者の、後に転じて利根になりて獨覺と成れり。されども是は世に唯一人なるには非ず。其の部類を引いて修行するが故に部行と云。此の部行縁覚は能く説法するなり。仁王經には八百万億大仙縁覚と云へり。(佛説仁王般若波羅蜜經卷上序品第一「復有八百萬億大仙縁覺。非斷非常。四諦十二縁皆成就」)此れこの類なり。麟覚は説法せず。故に此の辟支佛の中にはあるべからず。
「而爲説法」とは、十二因縁の法乃至五戒十善の法等の法なり。佛在世の摩訶迦葉は是大縁覚なり。又は願生佛。世の縁覚とも云なり。