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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

蒙古襲来時の温故知新・・その12

2018-08-25 | 護国仏教

・・震旦国の陳の大王の娘大比留女の,七才にしてご懐妊在りましを、父の王あやしんで、「汝未だ幼少なり、誰人の成すところにかある。慥に申すべし」と仰せにければ、「我未だ幼少なり。人の膚に触るることなし。まどろみたりし時、朝日の光、胸に差しこむと覚えてはらむ所なり」と申せたまひければ、いよいよおどろいて、お誕生の皇子とともに空船に乗せて、「流れ着きし所を所領としたまへ」とて、大海に浮かべ奉る。日本大隅国の岸に寄り着きたまひけり。その太子を八幡と号し奉ってより、御船の着きし所をば八幡崎と名付たり。是は継体天皇の御宇なりき。大比留女は筑前の国若椙山へ飛び入りたまひき。後には香椎の聖母大菩薩と顕れたまへり。皇子は大隅国に留まりて、正八幡と祝われたまへり。ここに大隅国の住人、隼人と名ずく、敵心を成して八幡を追却し奉らんとて、陳を張って合戦すと雖も、隼人打ち負けて頸を切られる故に悪縁となる。其の難を致すに依り、御幸の前には二百人の兵騎をしたがひ奉る。隼人を打ち取ふ御鉾を号して隼人鉾と名ずけたり。実の長さ八尺、広さ六寸なり。仲哀天皇の御子としては皇后の御腹にして異賊を滅し、大比留女の御子としては幼年の御身にして隼人を討ち平らげたまふ。武道に於いて威を振るい、合戦において勝事を得たまへば、戦場に赴き弓箭を取る輩、且つは祈祷を致すに、感応掲焉にして能く武芸に達し、霊威厳重にして高名せぬは無かりき。

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