福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

蒙古襲来時の温故知新・・その11

2018-08-24 | 護国仏教
八幡愚童訓より
「それ頻婆沙羅王の一子なきことを歎いて相人を召して「皇子今は出来まじきか」とお尋ねありしに、「この山の奥に仙人あり、三年を経て大王の御子となるべしと」申しけるを、其れまで待たんこと老衰の身なれば遅しと思召し、勅使を遣りて仙人を殺さる。此の仙人怒りて云いけるは、「われ必ず王子となりて大王を殺さん」とて死にけり。即夫人韋提希、懐妊し給いて生まれし皇子阿闍世は、父の王を幽閉して殺しけり。時の人は未生の怨とぞ申しける



我が朝にも文徳天皇の御時、法華経三千部読み奉る沙門、内供奉を所望しけるを、大納言伴義男「あるまじき事なり」とて申し留めたりしかば、沙門「我、法華経の功によって国王と生れて、伴大納言を罰っせん」とて失せにけり。その願力にまかせて清和天皇と生れて、伴大納言を伊豆の国に流せられにけり。悪念だにも果遂ぐ。善心いかでかかなわざらん(叡尊が蒙古の帝に生まれて日本侵略を止めると願ったこと)。治乱まことに王のなすところなり。上品十善の功徳だに鉄輪王と成るぞかし、いかにいわんや思円上人、菩薩具足の戒全し。蒙古の王となりしこと更に相違あるべからず。去れば彼の王宿願を憶念して怨害の心なく、自他の王民安んずること返す返すも貴かるべし。
そのうえ、宝亀四年2月十五日の御託宣に「世は替っても神は替らず」とあるも頼もし。末代不善の輩は上古廉直の人に同じからずと雖も神慮は替らず守りたまうこそ嬉しけれ。去れば近頃,洛陽より月詣でせし女房、利生頓無きことを恨んで一両年も参らず、程を経てのちに思案して参詣したりしに「千早ぶる、神の心は長ければ、忘るるひとを忘れざりけり」とご示現を蒙りき。とりわけ異賊においては、因位の怨敵垂迹の誓願あるゆえに、降伏すみやかなれば來寇のおそれあるべからずと覚えたり。日本にて防がせ給うのみならず、折々他方に翔び打ち靡きしたまいしこと、神通の不思議といひながら世にすぐれたり。御託宣に「ある時は王位に帯し異国の軍を靡し、ある時は他界に渡りて濫悪を誡しむ」とあるにつけて、後一条院の御宇、長元の頃(1028年から1036年)異国の兵を起こして来たらんとせし時、大菩薩神通力を現わしたもうて、大地忽ち震動して、造るところの船を破損したまひしかば、異賊力なくして留まりぬ。懸る神明の御坐す圀なれば、十歳の減劫に至る隣敵いかで奪うべきや。」
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