第二、『道』
神に次いで何が日本國體の内容かといふと其れは神の心たる『道』である。・・道といふのは、どふでもその通り行かねばならぬもので、その通り行きさへすればきっと目的の処に達し得るものが道である。
故に根本の真理すなわち道理が愈実行のお膳立てとなるとそれを『道』といふものにしあげて授ける。後天性の者であるから、その仕上げ人がこれを説明する責任がある。而してその説明に理義言節で要を盡すの(声教)と直に実行の上で顕はすの(形教)と両向ある。
前は『声教』で後ろのは『形教』である。
(声教は覺道となり)その覺道は・・印度で発達した。あらゆる宗教哲学の一切を比較対判して底の底,隅の隅まで繊毫の陰翳ものこさず照らして公明正大規模堂々と横には十方を掩ひ縦には三世(過去現在未来)を一貫して周到明晰を極めた『道法』の教えが大聖仏陀によりて開示された。
その一方に於いて一言の説明も理義も述べず、ひたすら實行の上に『道法』を建設して直接に人類統御の實権の下に真理を擁護したのが、世界の中に唯一つ理屈を言はずして埒のあく、快潤公明の性格に利ある國土と民族の中に発達した神政の『王道』即ち「日本國體」である。この『形教』たる「治道」の示現と、彼の『声教』たる『覺道』の示現とは世界道法発達の二大分野にして世界的に相呼応すべき深大の関係ある二大事象として貫き考案をはらわねばならぬ大問題である。
(インドの仏教は真理の教えを発達させ、日本国体は真理を行動で示した。)