
2016年8月7日(日)第1回関東一宮ほか巡拝記
・大宮駅中央改札北に10:00集合
・タクシーに分乗して氷川女体神社へ
①氷川女体神社 見沼の谷に突き出した小舌状台地にある。
祭神:大宮氷川神社祭神の妻である稲田姫命 建立は、8Cの奈良時代と云われる。
社殿扁額には、武蔵国一宮とあり、現・社殿は徳川4代将軍家綱の時に建てられた。
江戸時代には、氷川女体神社、中山神社(簸王子神社、中氷川神社ともいう)、氷川神社(大宮)の三社を一体として氷川神社とされていた。
この三社は、かっての広大な湖沼「見沼」に面し、ほぼ一直線に位置している。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社に沈むという。
左のマップは、クリックで拡大出来ます。

写真は、「鳥居から本殿を望む」 「社務所と左に大きな瘤をもつご神木」 「磐船祭祭祀遺跡」 「見沼の名残の小池に咲く浅沙の花」
・再びタクシーに乗り、氷川女体神社から中山神社へ。
②中山神社(簸王子神社、中氷川神社ともいう)
氷川女体神社と氷川神社を結ぶ直線状のほぼ中央に位置する、中川の地にある。
祭神:氷川神社祭神素戔嗚尊とその妻氷川女体神社祭神の稲田姫命の子、大己貴命(大国主命)を祀る。
現社殿の奥には桃山時代様式といわれる、流造の過渡期の旧社殿(覆い堂の中)がある。境内には、鎮火祭の名残「御火塚」も。

写真は、「鳥居より社殿を望む」 「御火塚」 「現社殿」 「覆い堂の中にある旧社殿」
・再度タクシーで、中山神社より氷川神社(大宮)へ
③氷川神社 大宮駅より徒歩25分、広大な社地(現社地と旧社地・大宮公園等を合わせ)にある。
祭神:素戔嗚尊
武蔵国一宮
写真は、「一の鳥居と参道」「三ノ鳥居・これより境内」「松尾神社と左奥は宗像神社」「楼門を望む」「楼門を内側より見る」「左舞殿、中央拝殿、奥神殿」
・氷川神社参拝後、近くの蕎麦屋・大村庵にて食事後解散
<K.S>
・大宮駅中央改札北に10:00集合
・タクシーに分乗して氷川女体神社へ
①氷川女体神社 見沼の谷に突き出した小舌状台地にある。
祭神:大宮氷川神社祭神の妻である稲田姫命 建立は、8Cの奈良時代と云われる。
社殿扁額には、武蔵国一宮とあり、現・社殿は徳川4代将軍家綱の時に建てられた。
江戸時代には、氷川女体神社、中山神社(簸王子神社、中氷川神社ともいう)、氷川神社(大宮)の三社を一体として氷川神社とされていた。
この三社は、かっての広大な湖沼「見沼」に面し、ほぼ一直線に位置している。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社に沈むという。





写真は、「鳥居から本殿を望む」 「社務所と左に大きな瘤をもつご神木」 「磐船祭祭祀遺跡」 「見沼の名残の小池に咲く浅沙の花」
・再びタクシーに乗り、氷川女体神社から中山神社へ。
②中山神社(簸王子神社、中氷川神社ともいう)
氷川女体神社と氷川神社を結ぶ直線状のほぼ中央に位置する、中川の地にある。
祭神:氷川神社祭神素戔嗚尊とその妻氷川女体神社祭神の稲田姫命の子、大己貴命(大国主命)を祀る。
現社殿の奥には桃山時代様式といわれる、流造の過渡期の旧社殿(覆い堂の中)がある。境内には、鎮火祭の名残「御火塚」も。




写真は、「鳥居より社殿を望む」 「御火塚」 「現社殿」 「覆い堂の中にある旧社殿」
・再度タクシーで、中山神社より氷川神社(大宮)へ
③氷川神社 大宮駅より徒歩25分、広大な社地(現社地と旧社地・大宮公園等を合わせ)にある。
祭神:素戔嗚尊
武蔵国一宮






写真は、「一の鳥居と参道」「三ノ鳥居・これより境内」「松尾神社と左奥は宗像神社」「楼門を望む」「楼門を内側より見る」「左舞殿、中央拝殿、奥神殿」
・氷川神社参拝後、近くの蕎麦屋・大村庵にて食事後解散
<K.S>