地蔵菩薩三国霊験記 3/14巻の5/7
五、糠地蔵の事。
中古駿河の國香貫(沼津市)の傍に住しける下女、天性貧窮にして塵ばかりの貯もなし。あまり詮方なくありし程に或時思はず神前に参りて神託を聞き、若しは計らず寺に詣りて説法をぞ聴聞しける中、地蔵菩薩は常に佛に超させ玉ひて念じだにせば宿望立処に成就して未来は成佛すとぞ聞きにけりより以来、深く地蔵を信じ奉りて怠りなし。さる程に親の孝養の志、心底に深けれども何とすべき便りだになければ、とかく思ひ煩ひけるに我身の影も傾きて西山近くなりける。生まれ来ても幾夜のほどかあるべき親の遠忌も廻り来て程近し。いかにせんと哀みけるほどに、片知りたる人のもとに立ちよりて米を借りつつ酒を造りて商ひ、其の利潤を集めて小仏事の縁ともなさばやと思ひ立ちて口に地蔵の宝号を念じて彼借欲(からんとおもふ)人の家に入りて出庫の米をかりければ、米主申しけるは自然返弁の時難澁あるべきには何なる質物なんどあるべきかと問、女の云く、親の孝のためなれば何と苦を受けても少しも怨むことなし。此の身を質に任せたてまつらんとぞ白しける。其の志至りて哀れに思へば酒なんど交易し玉ひなれば如何なりとて五杷利(五割)を云て三百文の銭をぞ借りけり。こはうれしき御志かなと云て、南無地蔵菩薩と合掌するを家主をかしく思ひて、よしよし文書なども未進の時は地蔵に任せ奉ると云てぞ借りけり。是偏に地蔵の御恵あんりとて日比(ひごろ)皈依(きえ)し奉りたる木像の地蔵の御前に件の三百文を置きて白しけるは此の錢を本として酒を造り少なき利もありて責て菩提の資糧と成し母の孝を報謝せんことを為し玉へとぞ白しける。且亦此の三百文の米麹薪に分け其の利を以て供佛施僧して我が母の三途の苦淪を救ひて三菩提の妙果を證せしめんとて、酒を造り賣けるほどに気味も好く調ひて尋常の酒よりもよくありければ、人々尋ね来たりて門に市を成しけり。さるから利潤巨多にして得分抜群なり。彼の女思ひけるは、所詮本錢を沙汰して心安く多利を捨てて小利の酒をあきなはんと思て、件の本錢三百文を元利ともに返納しけり。借りたり人の云けるは、やさしくもありし事(わざ)あんり。自今已後も用あらばのたまへかしとぞ言ひける。其後日を経て酒を賣けるに小利を先としけるほどに此の酒ならではとて求に来れば結句に巨利を得て盛んなり。此処に沼津と云所に去り難き知音ありけるが、病の為に犯されて餘命も危き由聞へける程に近き里なりければ訪ひて急ぎ皈らんと思ふて女やもめの栖の習ひ、柴の戸ざしも四度解けき篠の編戸を推閉じて、あらぬさまに立ち出でて彼の方に到りて昔今の物語して時を移しけるに、俄かに大雨降りて石を穿つばかりなれば、暫く雨を歇(やめ)て皈んと思ひて侍居たるに雨止まず、洪水まさりて橋を落とし皈るべきやうなし。彼の女思やう、我身はかくていつまでも逗留せよ恨無し人の哀れみを受けて小利を集めて我が母の来世を済ひ白さんと計りしとこの無になりて造りし酒も損じ以来買ふ人だになくなりて、我志をむなしくせんことのあさましさよ、南無地蔵菩薩、今日しも此に来らんと思ひしこそ天魔の所行なるらんと忍に歎くこそ哀れなりし事どもなり。とかくして三日と申すに雨やみ水も減りければやうやう人を語らひて船にて越へて已家(わがや)に皈りて見ければ我がしたためをきし柴の戸は少しもたがはずしてあれば、先ずは喜くぞありき。さればいかばかり酒の損じてあるらんと思ふて酒壺の蓋を開き見るに一滴もなし。こはいかに漏てや失せしと仰天して傍を見れば糟山の如く積み上げたり。不思議の事かなとて糟の中を細かに見れば直錢三貫三十文(約30万円?)現在せり。こはいかにと隣家の人に問ければ、人々申しけるはいざとよ此の雨の中に我が身は河なんどの降雨に大水出て皈り玉ふことを得玉はず、人を頼みつつ酒を賣玉ふと聞きければ見るに青き帽子を着ける形相さしも氣高き人の酒をしぼりて沽(うり)玉ふ。御主よりも酒は美(うるは)しくもてなし多く賣せ玉ふなれば、人々聞き及びて集り来たりて買奉りき。餘の喜さに真(まこと)しからずと云けり。人々言けるは能々尋ね来玉へ、此の傍にある某と白す病者の今を限りにて命請ひに彼の酒を呑て病急に癒へて今朝よりして行歩たやすくなりて有り。我等の夫も此の百日あまり悩み伏したりしも此の酒にて元気を得たること何の虚かあるべきと語れば誰人賣けん、我が佛の此の事を白して偏に御礼啓(おんれいもうさ)んと手を洗ひ身を潔くして年来信じ奉りし地蔵尊の御前に参て誠に大悲抜済の加被力を以て亡母孝養謝徳ことのありがたさこそ侍れと厨子の御戸を開けて見奉りければ、忝くも六道能化の地蔵大菩薩の像の御手に持玉へる念珠をば指置き玉ひて糟を握らせ給ふ。さては此の尊の我が強ちに貧乏愁傷の念を意輪に鑒機して如是の相を示し玉ふ者か。末世の奇特なりき。尚隠るより見るる(あらはるる)はなく、隣国近郷傳へざるに聞きて百里を遠しとせず此の尊像を拝せんと願て至る輩稲麻の如く引き連なり竹葦の如く群り集まる。轉々随喜のやから皆共に成佛の縁とや成。されば怪しき事に似たれども神通妙用なれば誣ひざることなり。佛全く外になし。己が心願に有りと云けるは是あんるべし。自心不信なる時、何の真佛か露れ玉ふ。一心勇猛なるときは本佛現前し玉へり。世人是を駿河の國香貫の糟の地蔵と白し奉りき。今に現在し玉へり。今も信仰せし輩は所願何の虚しかるべきや。闡提救世の誓願は諸の薩埵に越たまへりとなん。