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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

墓に骨が入れられてない場合故人は成仏できるのか?

2021-08-31 | 先祖供養

墓に骨が入れられてない場合故人は成仏できるのか?
A、できます。「法力に遠近なし」というお大師様のお言葉もあります。
1、結論は、墓の前、仏壇の前でも「舎利礼文」「一切如来心秘密全身舎利寶篋印陀羅尼」「光明真言」をお唱えすればお骨はなくても故人にとどき供養できるという事です。
「舎利礼文
一心頂礼。万徳円満。釈迦如来。真身舎利。本地法身。法界塔婆。我等礼敬。為我現身。入我我入。仏加持故。我証菩提。以仏神力。利益衆生。発菩提心。修菩薩行。同入円寂。平等大智。今将頂礼。」
や、
「一切如来心秘密全身舎利寶篋印陀羅尼(一切如来の舎利の功徳により所願成就する陀羅尼との意)。のうまく しっちりや じびきゃなん さらば たたぎゃたなん おん ぼびばんばだばり ばしゃり ばしゃたい そろ そろ だらだら さらばたたぎゃた だどだり はんどま ばんばち じゃやばり ぼだり さんまら たたぎゃた たらましゃきゃら はらばりたなう ばざら ぼうじまんだ りょうぎゃらりょうぎりてい さらばたたぎゃた じしゅちてい ぼうだやぼうだや ぼうじぼうじ ぼうじゃぼうじゃ さんぼうだに さんぼうだや しゃらしゃらしゃらんと さらばばだに さらばはんだびぎゃてい ころころ さらばしゅきゃびぎゃてい さるばたたぎゃた きりだや ばざらに さんばらさんばら さらばたたぎゃた ぐきや だらんじ ぼじり ぼでいそぼでい さらばたたぎゃた じしゅちた だどぎゃらべい そわか さんまやじしゅちてい そわか さらばたたぎゃた きりだや だどぼだり そわか そはらちしゅちたさとべい たたぎゃたじしゅちてい ころころ うんうん そわか おん さらばたたぎゃた うしゅにしゃ だどぼだらに さらばたたぎゃたんさだと びぼしたじしゅちていうんうんいそわか」
や「光明真言」を故人を偲んでおとなえすればお骨はなくても届くと思われます。

この、光明真言と宝篋印陀羅尼が故人の追善に良いことは、兼好法師の徒然草二百二十二段に「竹谷の乗順坊(法然門下の碩学)、東二條院(後深草院の后)にまいられたりけるに、亡者の追善には如何なる事か勝利多きと尋ねさせ玉ひければ、光明真言と宝篋印陀羅尼ともうされたりけるを、弟子どもいかにかくは申したまひけるぞ、念仏にまさること候まじとはなどもうしたまはぬぞと申されければ、我が宗なればさこそもうさはほしかりつれども、正しく称名を追福に修して巨の利益あるべしと説る経文をば見及ばざれば、いかにみえたるぞと重ねて問はばいかが申さんとおもひて本経のたしかなるに付いて真言と陀羅尼とを申しつるなりととぞ申しける。・・」とあることによっても知られます。

2、そもそもお骨は墓に埋められてあるとは限りません。
相応部経典ではお釈迦様は「無始以来輪廻を続けている有情の骨は地上のあらゆるところにある。(バラモンが墓を作るために見つけた土地も)過去に500回もあなたが埋められていたところだ」といいます。 大智度論二十八にも「一人の一劫の中に畜生となる時は・・その手首を切られその身を切られるにこの如き等の血はこの水よりも多し。此の如くにして無辺の大劫の中に身を受け血を流すことはあげて数ふべからず。啼哭の流涙及び母乳を飲むもまたこの如し。一劫の中の一人の積骨を計るにビフラ山よりも過ぎたり・・」とあります。

3、東日本大震災後今でも行方不明の方が数千人もいらっしゃいます。震災直後仙台市の若林地区の捜索現場で読経させていただいたときに「行方不明のままで遺体があがらない時はどう考えればいいのでしょう」と地元の方に尋ねられたことを思い出します。その時は「祈りはどこにでも必ず届きますら・・・」と答えるのが精一杯でした。いままで、この答えで果たしてよかったのかと自問自答してきましたが、最近,この答えでやはりよかったのだという確証が得られました。
それは「発菩提心論」に「・・凡そ、今の人、もし心決定して教の如く修行すれば、座を立たずして三摩地現前し、於是に本尊の身を成就すべし。」とあり、さらにお大師様の「秘蔵宝鑰」に「大毘盧遮那経にいわく『悉地は心より生ず』。金剛頂経に説くがごとし、『一切義成就菩薩初めて金剛座に坐し、無上道を取證して遂に諸仏に此の心地を授かることを蒙ってしかしてよく果を證す』。およそ今の人、もしよく心決定して教えの如く修行すれば座を起たずして三摩地現前し、ここに本尊の身を成就すべし」とあり、高野雑筆集にも「法力に遠近なし。千里すなわち咫尺なり(どんなに離れていても供養は届く)」。性霊集の理趣釈答書にも「遮那の三密は何れのところにか遍せざらん。汝が三密は即ちこれなり」とありました。
 いずれも修法において物理的距離は問題にならぬとおっしゃっているのでした。戦没者・大災害の被災者等で骨が見つかってない方もおられます。そういう故人にも供養は届きます。

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