観自在菩薩冥應集、連體巻6/6・51/52
五十一泉州鉢が峯聖観音の事
同国上には神谷若松の荘鉢峯山長福寺閑谷院(法道寺は、大阪府堺市南区にある高野山真言宗の寺院。山号は鉢峯山。本尊は薬師如来。鉢ヶ峯寺とも称される。寺伝によれば、白鳳10年(670年)に法道(空鉢)によって開基され、山号は法道が当地に鉢を納めたことに因んでいるという。当初は長福寺という名称であった。)は天智天皇の御宇、白鳳年中(661年〜683年)に法道仙人の開基なり。往古垂仁天皇の御宇(紀元前69年から紀元後70年)に
天照大神宮鳳凰の形を現じて鉢峯山小倉の峯に集まり玉ふ故に大鳥の都と号すとかや。聖観音は御長三尺一寸法道仙人の作なりと云傳ふ。仙人天竺より飛び来たり玉ひし時、播州法華山(兵庫県加西市法華山一乗寺)に留りて有縁を化導し處々に伽藍を建立し玉ふ。持来の観音佛舎利は法華に安置し此の峯には寶鉢を持して観音の像を造りて安置し玉ふ故に鉢峯山と号すと云へり。上古には大伽藍なりと雖も度々の兵燹(へいせん)に罹りて堂舎皆烏有となんぬ。然れども此の観音は火中より飛び出し、側なる桜の木の下に立たせ玉ひけるを、其の時の寺僧賢慧法師涙を流して悦び、衣の袖に受取奉りて再び本堂に安置しせしかば、
其の頃の地頭上神殿此の霊験を感じて寺領若干を寄付せられたり。然れども物換り星移りて兵革止まず寺領も次第に減じて今は僅に境内のみなり。又天文年中(1532年から1555年)に上神の里に三宅氏の人あり。一人の娘長病にて百療効なかりしに、此の観音を信じて三七の間日参して祈誓せしかば病自ら平癒せり。又或る人癩病を憂て見苦しかりしに此尊像に祈りければ忽ちに平復しぬ。其の子孫今にありといへり。彼の火難の時、飛び出玉ひし時少し面は焦げ玉ひければ世人頬焼けの観音と号し奉り、厄難を拂い所願成就せしめたまふ事世の佛よりも勝れたりとて諸人の信仰浅からず。今に霊験速疾なり。又佛牙の舎利あり。空鉢仙人持ち来たれるなりと云。其の餘の霊寶事跡は縁起に詳らかなり。