福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験55

2011-11-24 | 法話
73番出釈迦寺からは奥の院の「捨身が岳禅定」がそそり立って見えます。最初の時は夕方着いたので寺族の方は「きょうは遅いので明日朝地元の人の朝参りについていくといいですよ」と教えてくれました。

境内には捨身が岳の解説があります。
「捨身が岳禅定、弘法大師七歳の御時救世の大誓願を立て、五岳の随一たる当山に登り三世の諸仏十方の菩薩に念じ「我仏法に入て一切の衆生を済度せんと欲す、わが願い成就するならば釈迦牟尼世尊影現して證明を与えたまへ、成就せざるものならば一命を捨ててこの身を諸仏に供養し奉る」と唱え、断崖絶壁の頂きより白雲も迷う谷底に身を跳らし飛び給へる。紫雲の湧き起こらせる中に釈迦牟尼仏百宝の蓮華に座しご出現せられ羽衣を身にまとうた天女天降り大師を抱きとめ「一生成仏」と宣り玉ふ。この神秘不可思議なるを世の人々に仏縁を結ばしめんが為に捨身が岳に寺を建立しご本尊釈迦牟尼仏を安置せられる。爾来捨身誓願の霊場として多くの善男善女の信仰の中心なり。捨身が岳出釈迦寺」
と書いてありました。


すぐ下が遍路宿でしたので此処に泊まり、翌日暗いうちに起きて沐浴し、月明かりの中にそそり立つ奥の院目指して登りはじめました。

満月でしたが道が何本もあって迷っていると、昨日の話の通り地元の人々が突然暗い中からあらわれました。お願いして一緒にのぼりました。とりとめも無い話をしながら登りましたが話すうちに非常にさわやかな気持ちになりました。何故かわかりませんが同質の魂の人たちだと感じました。

よく死後は魂の似た人のグループにはいるといわれますが月明かりの中で類似の体験をしたような気がします。

我拝師山参道には多くの碑があります。 昭和5年与謝野晶子が善通寺にきたとき詠んだという

「讃岐路は浄土めきたり秋の日の五岳の奥におつることさへ」

も刻まれていました。



鎌倉時代の高野山の高僧 道範上人の句

「鷲の山つねにすむなる夜半の月きたりて照らす峯にぞありける」

もありました。

途中には柳の水という湧水もあります。
1回目は地元の人が汲んで飲ませてくれました。甘くておいしい水でした。捨身が岳禅定本堂は400Mの標高にもかかわらず、なんなくたどり着くことができました。

鐘もあり地元の人は次々に衝きます。2回目のときは満濃池の駅で先祖が捨身が岳禅定の鐘をワイヤーで引っ張り挙げたという人にあったことを思い出し心して撞きました。修行の山にふさわしい澄んだ音色でした。


西行法師が我拝師山参道で休んだときの西行腰掛石もあります。2回目は本堂の中にあがれましたが 1回目は朝早かったので奥の院本堂の縁に座して薄暗い照明のなか理趣経をあげました。

本堂の裏には洞窟があり、捨身をされた御年7歳といわれる小さな稚児大師様が祀られていました。

山頂からみると満月に照らされた里の風景は御伽噺の本の挿絵のようでした。今でもこの不思議な光景ははっきりと思い出します。2回目のときは鎖をつたってうえまでのぼりました。さすがにぞっとする岩場です。こういうところにおさない大師がのぼられたというのはなみたいていのことではありません。


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