「興福寺南円堂銅灯台の銘」(大師、拾遺雑集「銅灯台の銘並びに序」)
「弘仁七年載歳丙申ひのえさるに次るとし、伊予の権守正四位下藤原朝臣公人等,先考の遺教に追遵して(亡父の遺言の教えを守り)、敬って銅灯台一所を造らむと志ふ。心、乖ひ麗れず、器、つえを期す。慧景伝えて極まらず、慈光燭して外なし。『遺教経』にいわく、燈に明あり、明は命なり。燈は命を延ぶと。『譬喩経』にいわく、仏の為に燈を燃さば,後世に天眼を得て冥処に生ぜずと。『普広経』に云く、燈を燃して供養すれば諸の幽冥を照らし、病に苦しむ衆生此の光明を蒙るときは、この福徳に縁って皆休息を得と。しかれば則ち、上天下地、日に匪ざれば明らかならず。晦きに向ひ冥きに入るは、火にあらざれば照らさず。是のゆえに斯の功徳をもって先霊をたすけ奉る。七覚(さとり)遠きが如くなれども、一念にして孔はなはだ近し。庶幾はくは有心有色、ならびに九横(9種の横死)を超え、小となく大となく、共に八苦をのぞかむ。昔光明菩薩は燈を燃やして呪を説き、善楽如来ぜんぎょうにょらいは油を供して仏に上る。今に居て古を望む。豈に美しからざらむや。或は良因を標してその來者に貽す(おくる)。いわく大雄(仏陀)化を降し、応物神を開く(化他行をする)。三乗轍を分ち、六塵津を成す(あらゆるものを済度し)、百非洗蕩し(あらゆる非理なるものを払落し)、万善惟ここに新たなり。更に忉利天に昇り、示すに崇親を以てす。・・(以下欠文)」
「弘仁七年載歳丙申ひのえさるに次るとし、伊予の権守正四位下藤原朝臣公人等,先考の遺教に追遵して(亡父の遺言の教えを守り)、敬って銅灯台一所を造らむと志ふ。心、乖ひ麗れず、器、つえを期す。慧景伝えて極まらず、慈光燭して外なし。『遺教経』にいわく、燈に明あり、明は命なり。燈は命を延ぶと。『譬喩経』にいわく、仏の為に燈を燃さば,後世に天眼を得て冥処に生ぜずと。『普広経』に云く、燈を燃して供養すれば諸の幽冥を照らし、病に苦しむ衆生此の光明を蒙るときは、この福徳に縁って皆休息を得と。しかれば則ち、上天下地、日に匪ざれば明らかならず。晦きに向ひ冥きに入るは、火にあらざれば照らさず。是のゆえに斯の功徳をもって先霊をたすけ奉る。七覚(さとり)遠きが如くなれども、一念にして孔はなはだ近し。庶幾はくは有心有色、ならびに九横(9種の横死)を超え、小となく大となく、共に八苦をのぞかむ。昔光明菩薩は燈を燃やして呪を説き、善楽如来ぜんぎょうにょらいは油を供して仏に上る。今に居て古を望む。豈に美しからざらむや。或は良因を標してその來者に貽す(おくる)。いわく大雄(仏陀)化を降し、応物神を開く(化他行をする)。三乗轍を分ち、六塵津を成す(あらゆるものを済度し)、百非洗蕩し(あらゆる非理なるものを払落し)、万善惟ここに新たなり。更に忉利天に昇り、示すに崇親を以てす。・・(以下欠文)」