20日にウズベキスタンの日本人捕虜がソ連軍の虐待に耐えつつ素晴らしい劇場を建築し、ウズベキスタンの市民を地震から守ったという記事を書きましたがこのブログを見たTさんから次のようなお便りを頂きました。「ブログで、ウズベキスタンの日本人捕虜のお話がでていました。此のブログをみて、ハッと思うことがあり、久しく、忘却のかなたにあった、父親を思い出しました。私の父親は満州国四平省の次長(旧満州国の「四平省」は満州鉄道の重要分岐点になっていて、ここから、吉林に行ったりする、支線の発着点でもあり重要地点でした。現在では、吉林省になっています。)をしていたためこのタシケントから250キロ先のコカンド病院・特殊懲罰収容所で政治犯として収容され鞭打ち等過酷を極めた尋問を受けました。昭和20年11月には父はソ連のチタに送られ,ラーゲルに入りここでも強制労働を強いられました。ここからは、連日、鉄道移送に次ぐ移送で、バイカル湖南端にあるラーゲルで森林伐採などの強制労働に従事させられ、翌昭和21年9月には今度はウズベク共和国フエルガナで強制労働させられています。このころまでには、弱っていた体が、さらに開放性結核にかかり相当衰弱していますが、ソ連人は、厳しく労働を強いたと言います。父親は、「吾は、老人だからといっておれず若い奴に負けぬようにノルマを果たして、後ろ指差されたくなかったから大分無理したよ」と、若い日本軍将校たちの働き振りを見ながら、語っていたそうです。こうして昭和23年2月20日、異国の地でむなしく逝去しました。その時の父親のメモです。。
「とつくにの言の葉知らぬ吾なれば何より何を求めんすべもなし」
「知らぬことに鞭打たれつつしのぶ吾くやしき余り涙落しつ」
「思うこと傳へ得ざる悲しさに無念の涙あふれ出づるも」
「世を統べし長なる吾は最後まで厳粛な心もちてぞ花と散らまし」」
「とつくにの言の葉知らぬ吾なれば何より何を求めんすべもなし」
「知らぬことに鞭打たれつつしのぶ吾くやしき余り涙落しつ」
「思うこと傳へ得ざる悲しさに無念の涙あふれ出づるも」
「世を統べし長なる吾は最後まで厳粛な心もちてぞ花と散らまし」」