『古今著聞集』 久安三年九月十二日法皇天王寺へ御幸ありけり
「古今著聞集 管絃歌舞第七」
(「久安三年1147九月十二日法皇(鳥羽法皇)天王寺へ御幸ありけり」・・・このころは信西は鳥羽法皇の寵愛を受け絶頂期。保元の乱1156年では対立勢力である崇徳上皇・藤原頼長を挙兵に追い込み、源義朝の夜襲の献策を積極採用して後白河天皇方に勝利をもたらしている。しかし平治元年(1159)の平治の乱でさらし首とされています。)
久安三年九月十二日、法皇、天王寺へ御幸ありけり。内大臣(藤原頼長)、御供に候はせ給ひけり。
十三日、念仏堂にて管絃ありけり。歌ならびに笛資賢・笙内大臣・篳篥(ひちりき)俊盛朝臣、ただし不堪(ふかん)のよしを申して吹かざりけり。琵琶信西(藤原通憲)・箏六波羅別当覚暹。
法皇、笛を吹かせおはしますとて、「沙門の身にて、このことあざけりあるべし」とて、障子に居隠れさせおはしましけり。御出家の後、このたび初めて吹かせおはしましけり。
まづ双調、鳥破、同じく急・賀殿(かてん)の急・安名尊(あなたふと)・妹与我(いもとあれ)。次に平調、万歳楽・慶雲楽・三台の破、同じく急・五常楽、同じく急・扶南・老君子・廻忽・甘州・陪臚(ばいろ)・伊勢海・我門(わがもん)・更衣・浅水橋・鴛鳧(をし)。盤渉調(ばんしきてう)、秋風楽、初一帖、後二三帖・鳥向楽・万秋楽、一帖・蘇合、三五帖の急・採桑老・蘇莫者(そまくしや)の破・青海波・竹林楽、二三帖・拍柱・千秋楽、このほかなほ催馬楽ありけるとかや。
朗詠・今様・風俗など数反ありけり。資賢朝臣ぞつかうまつりける。朗詠は法皇御発言ありけるとぞ。その後俊盛朝臣、読経つかまつりけり。人々、興に乗りて、覚暹・信西、揚真操(ようしんそう・琵琶の秘曲)弾じけり。
法皇の仰せに、「資賢は催馬楽の道の長者なり」と叡感ありけるは、このたびのことなり。いかに面目に思ひけむ。」
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