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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

実語経です。

2013-06-14 | お大師様のお言葉
實語教

 山高きが故に貴からず。木有るを以て貴しとす。

 人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。

 富は是一生の財。身滅すれば即ち共に滅す。

 智は是万代の財。命終われば即ち随って行く。

 玉磨かざれば光無し。光無きを石瓦とす。

 人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。

 倉の内の財は朽つること有り。身の内の財は朽ちること無し。

 千両の金を積むと雖も。一日の学に如かず。

 兄弟常に会わず。慈悲を兄弟とす。

 財物永く存せず。才智を財物とす。

 四大日々衰え、心神夜々に暗し。

 幼きときに勤め学ばざれば、老いて後恨み悔ゆと雖も、

 なお取益有るを無し。かかるが故に書を読んで倦むをなかれ。

 学文怠る時なかれ。眠りを除きて通夜に涌せよ。

 飢えを忍びて終日習え。師に會すと雖も学せざれば

 徒に市人に向かうが如し。習い読むと雖も復せざれば

 只隣の財を数えるが如し。君子は智者を愛す。

 小人は福人を愛す。富貴の家に入ると雖も、

 財無き人の為は、なお霜の下の花の如し。

 貧賤の門を出ずると雖も、智有る人の為には、

 あたかも泥中の蓮の如し。父母は天地の如し。 

 師君は日月の如し。親族譬ば葦の如し。

 夫妻は猶瓦の如く。父母には朝夕に孝せよ。

 師君には昼夜に仕えよ。友に交わって諍う事なかれ。

 己より兄には礼敬を尽くせ。己より弟には愛戯を致せ。

 人として智無きは、木石に異ならず。

 人として孝無きは、畜生に異ならず。

 三学の友に交わらずんば、何ぞ七学の林に遊ばん。 (三学とは戒定恵。七覚とは七種の覚法で、1、択法覚(智恵を以て法の真偽を知る)。2、精進覚(勇猛心で邪行を離れ真法を行ずる)。3、喜覚(心に善法を得て歓喜を生ずる)。4、軽安覚(身心をして軽利安適ならしめる)。5、念覚(常に定覚を明記して忘れずそれをして均等ならしめる)。6、定覚(心を一境に住して散乱せしめざる)。7、行捨覚(諸の妄謬を捨てる)この七種の法によりてさとりを開くことが出来る)

 四等の船に乗らずんば、誰か八苦の海を渡さん。 (四等とは慈・悲・喜・捨の四無量心)

 八正の道は廣しと雖も、十悪の人は往かず。(八正道とは涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。十悪とは殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語、両舌、悪口、貪欲、瞋恚、愚癡)

 無為の都に楽しむと雖も、報逸の輩は遊ばず。 

 老いたるを敬うは父母の如し、幼きを愛するは子弟の如し。

 我他人を敬へば、他人亦我を敬う。

 己人の親を敬えば、人亦己が親を敬う。

 己が身をば達っせんと欲せば、先ず他人の身を達っせしめよ。

 他人の愁いを見ては、即ち自ら共に患うべし。

 他人のよろこびを聞いては、即ち自ら共に悦ぶべし。

 善を見ては速やかに行け、悪を見ては忽ち避れ。

 悪を好む者は禍を招く。譬ば響きの音に応ずるが如し。

 善を修する者は福を蒙る。あたかも身に影の随うが如し。

 富むと雖も貧しきを忘るることなかれ。或いは始めに富み終わりに貧しいとも。

 貴しと雖も賎しきを忘るることなかれ。或いは先に貴く終わりに賎しくとも。

 それ習い難く忘れ易しは、音声の浮才。

 また学び易く忘れ難しは、書筆の博藝。

 但し食有れば法有り、また身あれば命有り。

 なお農業を忘れざれば、必ず学文廃することなかれ。

 故に末代の学者、先ず此の書を按ずべし。

 是学文の始まり、身終つるまで忘失することなかれ。

 

 
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